「願わくば我に七難八苦を与え給へ」

戦国尼子の武将、月山を居城として活躍した山中鹿之助の言葉だこの言葉を一番最初に見たのは小学一、ニ年生の頃だったろうか…「見た」と書いた〜
幼少の頃のかすかな記憶…
彼の銅像と碑文を想うその言葉の真の意味もよくわからないまま
ただ「かっこい」と
なぜか今日まで心にその勇姿とともに生き続けている懐かしくもあり、強い郷愁心を掻き立てる絵図となり、時折夢にも登場するそれは戦国時代の彼と私の幼少時代が重なる今は安来市となったが
「その頃」は島根県能義郡広瀬町…
私の生まれ故郷でもある母の実家から一望できる
月山が脳裏に焼きついているトイレットペーパーもない時代…
とは言え、今思うととても信じ難いが
ペーパー代わりに丁寧に新聞紙を折って「その使い方」を教わったり
近くの川で洗濯するの祖母の姿もごく普通の日常だったその後
癌の病にて、つれあい(私の父親)を失った母が
一人二役で、私を含む3人の幼な子を
育てることになるのだが広瀬は
30代半ばの、当時は未だうら若きわが母の
職を求めて余儀なく生まれ故郷を離れる
旅立ちの起点となった私にとっての「広瀬」は
日本が戦後の復興に向け
貧しい国からいよいよ
たくましく成長、発展していく源を
連想させる原風景でもある私たち4人家族の移り住んだ
新天地は「米子」その後、広瀬には
盆と正月には母に連れられ
電車を乗り継ぎながらようやくたどり着いた…電車が廃線となってからは
文字通り、野を越え山谷を越えて
ゆったり揺れ揺れ進むバス旅だった米子からはとんでもなく遠い場所にあった…
少なくとも子供心には遥か彼方に拡がる
楽しみな別世界のイメージがある訪れると、そこにはいつもやさしく迎えてくれる
祖父母、伯母夫婦、叔母夫婦、いとこ達…みんながいた昆虫採集、餅つき、お祭り、灯籠流し
トランプ、かるた•百人一首…
川に入っては、鮎もたくさん手で掴めた時は、「栃若」全盛期の昭和35年(1960年)
ちょうど、移動中の電車の中で
栃錦と若乃花の横綱同士が
史上初の落日全勝相星決戦が見られず
とても悔しく思ったことも…+++
それから半世紀以上の歳月が流れー先日
激動の時代を生きた私の親の世代の
かけがえのない人たちの中で、ただ一人残り
「広瀬」に生き続けた叔母がついに力尽きた私のことを「じゅんぼ」(純坊)と呼び
訪れると必ず
茶道よろしくお茶と茶菓子で歓待してくれた母亡き後、
コロナ前までは日本への帰国のたびに会いに行った
今では道路も整備され
広瀬-米子間は車で僅かに30分しかしながら
私にとっての広瀬はいつも笑顔の叔母たちの待つ
子供の昔と変わらない今は…
ただ、郷愁とともに
叔母なき広瀬に
言いようのない切なさがつのるこの表現し難いやりきれなさは
不思議なことだが
時代、時間を超えて
毛利との戦いにあけくれ苦戦を強いられた
尼子の悲運の英雄 「山中鹿之介」 と
子供の時登ったはずの 「月山」 にも向かう「願わくば我に七難八苦を与え給へ」いかにも不運にみえる出来事が
不思議なほど大いなる何かに導かれる様々な逆境や挫折を与えてもらうことで
それらが自分の成長の糧となり
時に人生を拓く機縁になるこの「信念」をしっかり抱く人生を生きる深い叡智を
この武将は既に備えていたのだろうか…幸運は必ずしも成長にはつながらない
「幸運は不運の姿をしてやってくる」
と言われるが、困難や逆境にチャレンジする
「逆境力」
だろうか…「山中鹿之介」
この名を最近になってたまたま耳にした…田坂広志氏(多摩大学大学院名誉教授、田坂塾塾長)
の講演…経営者を中心に塾生、数千人を擁し
仕事や人生の意味を伝えているそうだ「人間の心」を探求する道は
まさに盛和塾での学びそのもの知識として知ってはいるが
これは「行じる」世界であって「修行」.
命尽きるまで続けていかねばならない中村天風、稲盛和夫、この田坂氏
共通点はいづれも
言わば唯物論、合理性を信条とする
科学者の道を歩んできた人達でもあるその一流の科学者たちが
口をそろえるのは
「普遍的真理」「現時点」の科学では証明できないにしても
究極の真理は一つ
すべての宗教的な教えは本来一つの真理を語っている
万教帰一(ばんきょうきいつ)と言うそうだ神、仏、天、大宇宙、創造主…
何か大いなるエネルギーの存在を感ずそう言えば、天風さんは「気」が流れていると言っていた「いずれ科学と宗教は統合されていくだろう…」
と言う田坂氏は、記事の中で「身心一如」(しんしんいちにょ)の理
を示す…多くの人は心で思ったことが言葉として現れてくると思っていますが、逆も真実であり、語った言葉が心を変えていくこともある…扱いにくい存在の「こころ」の処し方としてまず体を整え
言葉を整えることによって
心を整えるという「修行」を積み重ねる.…技法を紹介しているその上で
「人生の成功」に付いて…その成功を出世や資産、名声と定義する限り、その成功は手に入らないことも多い。人生において成功は約束されていないが、成長は約束されている人生100年時代と言われるが、たとえ100年生きても、いずれにせよ「一瞬の人生」そして我々は誰もが
その一瞬の人生を駆け抜けていく存在されば
人間の出会いとは
その一瞬と一瞬が巡り会う「奇跡の一瞬」
その出会いの中で、互いに何を学び
いかに成長していくのか
そのことこそが人生において大切なことではないか…稲盛さんは
人生の目的は
生まれたときの魂を磨いていくことにある
と説いたこの田坂氏は…
「我々は何を喜びとして人生を歩むべきか…」
の問いにそれはやはり
「人間の成長」であり「魂の成長」
と説く「成功」とは「成長」…考えてみれば…
一般的な成功…お金、地位、名誉…はその達成感や喜びは長続きしない上
心の成長を伴っていない場合
一瞬にして失うことが多い一方
「成長」はいかなる逆境が与えられても
そのその一歩にはささやかな喜びをもたらす力があり
やがて信じられないような果実につながることもあるこの時、心得るべきは
(自ら進んで求める必要はないにしても)
失敗、逆境や挫折を自然体で受け止め
「解釈力」を磨き
ものごと全てを肯定的に捉えるこのことこそが
自分の成長の糧となり
成長を続ける原動力となり
人生を拓く機縁になる
という「信念」を持つことにある七転び八起き(ななころびやおき)

水前寺 清子の三百六十五歩のマーチ
+++
しあわせは 歩いてこない
だから歩いて ゆくんだね
一日一歩 三日で三歩
三歩進んで 二歩下がる
人生は ワン・ツー・パンチ…
+++たとえ一歩でも前進する…途方もない先を見るとき
たった一歩では心が折れくじけそうだがだからこそ余計に
逆境からの
「成長の過程そのものが幸せと喜び」
につながるのだという
絶対的な「信念」を持つ必要がある逆境の越え方として…田坂氏は下記を挙げている● 人生を拓く「5つの覚悟を定めよ」
1. 自分の人生は大いなる何かに導かれている
2. 人生で起こること、すべて、深い意味がある
3. 人生における問題、すべて、自分に原因がある
4. 大いなる何かが、自分を育てようとしている
5. 逆境を超える叡智は、すべて、与えられるこれらは人生を「絶対肯定」することに他ならず
天風さんの「積極(せきぎょく)精神」に等しい1945年8月15日の終戦
日本は焼け野原から再興を誓ったがそのちょうど400年前の天文14年(1545年)8月15日
月山富田城の麓・新宮谷(島根県安来村)で生まれた
山中幸盛鹿之助は、「願わくば我に七難八苦を与え給へ」
と三日月に祈り尼子家再興を誓ったそのためには如何なる困難にも立ち向かうという覚悟と信念を抱き
困難にこそ、その目標達成の鍵があるとして強い意志を貫く礎とした+++++
ところで…この話は
「戦前」の教科書に教訓として紹介されていたと言うが
「戦後」の教科書で育った私にはその覚えはない私たちは
戦後の誤りや歪みに満ちた歴史教育、受験教育を通して
一体何を学んできたのだろうか…誰のために…?
何のために…?今、ウクライナ危機を始めとして
世界各地で様々な戦争や紛争が起きているこれは他人事であるはずもなく
これを契機に、少しは国防や国の歴史に関心を持つ日本国民が増えて欲しいと切に願う一方向、一元的なメディア放送に惑わされず
様々な角度で歴史に学び、
先哲、先人たちの叡智に触れ
自ら考え
自分自身の世界観を抱けるよう努めるそして
私たちを育んでくれた土地、時代、環境
先祖、祖父母たちの生き様に思いを馳せる護ってくれるはず…の国の公平で
あるべき姿まっとうな方向にむけ
「世界の中の日本」を理解した上で
国とも「護り、護られる」健全で対等な関係を築きたいテクノロジーの格段の進歩・発展でそれが叶う時代になった無意識のうちに
自分は
「まぁこんなものだ」
「まぁここまで結構やれたな」と、
勝手に自己限定を決め込んでしまわないこと何しろ
大脳生理学では、80まで生きても脳細胞のせいぜい二割ぐらいしか使わないで去っていく
深層心理学では、人間は持っている可能性の一割から二割程度しか使わないで去っていく
というのだだからそれが三割から四割使われるだけで相当な才能の花が開くにもかかわらず
その方法を我々は知らない、知っていても行じないという次第だもったいないではないか…
そんな生き方はすまい今いくつであったとしても
これまではまだまだ修行だった
これから本当に心技体に満ちた最高の人生に取り組むぞ
まだまだ入り口だ今を生き切れ!田坂氏の述べる三つの真実
●人は必ず死ぬ
●人生は一回しかない
●人はいつ死ぬか分からないだから
死生観を定めて生きよ!
覚悟を持って生きよ!そのように生きることで
「人生の時間の密度」
が全く異なってくる…とは言っても正面から向かいたくない真実でもあり
私にとってはかなりハードルが高いが
あらためて身に沁みる言葉だ「使命感」とは
「命を使う」と読める自分のかけがえのない命を
大いなるものの意思に沿った成長のために使おうそして
その成長を通して
世の中に少しでもましなこと
良きことを成しその生き様、横顔、後ろ姿を後世に伝える.…
次の世代に託し続けられるだけの心身を磨きたいhttps://youtu.be/qhSRBpML-3Uhttps://youtu.be/pVwiJ6MDzMA