松江城のさくら、人生の据え方
日本へ出張する時は必ず実家のある米子にも足を伸ばします。
お墓参りのこともありますが、めったに顔合わせることのない弟夫婦や昔ながらの人とのリアルな空間が愛しいからです。
明日もこうして元気に仲良く話ができるという保証はどこにも無い…。
これまで何十年もこうだった、
だからこの先もこうだろう…
人類の誕生は500~600万年前、
完全な二足歩行を行う原人が200万年前。
数百万年もの間にたった20年程度しか伸びなかった人の命が、わずか100年の間に40年も伸びている…。
医療技術の進歩、健康的な食生活や住環境の改善で、これから先どこまで伸びていくのだろうか?
長く生きれることが人生の目的とか幸せにつながるものでは決してない…
ですが、このようなことを思い巡らすことのできる時間を与えてくれた今の時代と環境に感謝です。
私たちのすぐ上、親の世代では
「考えることすら及びもつかない」
生きること、子育て…
それだけで精一杯、人生も終わった時代でしたから…。
そうであるならば、
今、文字通り「生きていること」が奇跡。……生かされている。
そんな年齢にあって、「これから」どのような人生の据え方をしたら良いのだろうか…?
「自分は宇宙から命を与えられた。」「その命をどうやって活かせば良いか…?」
「一体、何が本当の幸せなのか、何が不幸なのか。立身出世し成功をする、それが良いことなのか。災難に遭って苦しみ抜く、それが悪いことなのか。 」
「良いことであろうと、悪いことであろうと、すべてを良き方向に向けていく努力をしなければならない…。」
……… 私は「たまたま」日本人として生まれ、育ち、家族を持ち、ビジネスの世界に身を置き、そして人生の半分近くをアメリカ社会に浸かっている。
オリジナリティの源泉であるおびただしい数の「点と点」(ドット)。
その 点と点 が織り成す、大小無数の「山と谷」の「波線」が 私の人生…。
でも思い起こせば、これらは全て自分の意思、自分の選択であったとしても奇跡、偶然の連続であり賜物。
果たして、これまでどれだけ「意識して」その自分だけの環境や経験からくるオリジナリティといったものを「自分の心、自分の魂を磨くために育ててきた」と言えるだろうか…?
この先は、
奇跡的に「たまたま」
出会うことの叶った人たちと共に…
いや、むしろ
その「奇跡の人たち」のために、
その人たちの人生のひとこまに
自分は
「何が」できるのか?
「何か」いいことで関われないだろうか?
「経営という場を、魂を磨き、人格を高め、素晴らしい人間性を持つための場として位置づけるべきだろう」
自分自身に豊かな人間性を与えてくれる…、
人生をより意義あるものへ高める…
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私の最も長くて近しい人…。
「今」いる肉親…
弟 からの突然の誘い、
「そうだ、松江城に行こう!」
(満開ではなかったにしても)
「松江城の桜もいいもんだよ」
と、「…ならではの」言葉。
さくらを愛で、イカ焼きを食べる…。
天守閣からは、はるかに遠く浮かぶ「大山」…。
> 米子から松江までは距離にして35キロ
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