「トラさん劇場」… その(1) 「人生の目的」

あの野村監督は、かつて
「固定観念は悪、先入観は罪」の言葉を残していた。
知識は多いほどいい。
知らないより知っていた方がずっといい。
けれども、固定観念と先入観は百害あって一利なし。
彼は、
少しでも良いと思ったものは、何でも試してみる一方、
自分に合わないと思ったら、
「良いとされている」ことであっても
受け入れなかった…。
この言葉も捉え方によっては
意見の分かれるところだろうが、
やはり、人は
「『先に』知識として入っていたものが正しい」
と思うのが自然というか、本能なのだろう。
その方が楽だから…
本能に抵抗する必要がないから…
新しい出来事に出会った時
自分の頭の中にあるものから
その正当性を図る以上、
どうしても、
自分の知識・考えと相容れない情報に対しては
違和感を感じるのは自然であり、
止むを得ないことなのかもしれない。
まして、自分の今いる環境…
生活や仕事の環境、人間関係
が、その自分の本能に沿ったものであるならば、
よほどの勇気と精神的余裕とパワーがなければ、それに抗うことはほぼ不可能だろう。
「清濁併せ吞む」という言葉がある。
良いこと、悪いこと、
良い人、悪い人、
綺麗なもの、汚いもの
を公平にあるがまま迎える…。
は、聞こえも良く、度量が大きいことの例えで、
人間関係をスムーズに進めるためには
「このくらいのところで…」と、
折り合いをつけ
妥協する
のが「普通」…
「処世術」とも考えられる。
ただ…
稲盛哲学では、
「素直な心」
「原理・原則」に従って行動せよ、と
学んできている。
「清濁併せ吞む」ことを良しとせず
「清」に固執する…
ただ、その瞬間にこそ
「素直度」「生き方」が試されるのではないだろうか…
自分の「信条」や「心」に対してである。
波風立てないように生きていくのは
無難。
そして、安心・安全….?
「これまで…でやってきた」
なのかもしれないが、
「そうじゃない…かも」
「ちょっと待てよ」
「…なのではなかろうか」
と、ハッと感じた時、
そのギャップを埋める努力をしてみてみたら如何だろう…
それは「清濁」から「清」の道への
人生の分岐点、
飛躍のチャンスとも言える。
あえて困難な道を選ぶ…
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トラさん…
妥協する道はあったのに…
その道を選ばなかった
DSとは一切妥協しなかった。
「何のために…?」
「民への奉仕」
という若い頃からの信条を
変える事はなかった…。
彼自身が若くして「特権階級」にいたからこその気づき、
その暗闇の存在を詳細に知り得たのだろうか。
「これはちょっと違うぞ…」と。
ただ「儲けたい」「楽をしたい」
ということだけが
人生の目的では、
真の幸福を得ることができない
ということを悟ったに違いない。