「バドばか」@熊本&私は今機中の人

8ヶ月ぶりの日本
今回の日本行はいつもと違って
かなり早いタイミングで決めていた…
大学(広島)時代、バドミントンに明け暮れ…
学部の友人たちよりはるかに長い時間を共に過ごした
私の日常は彼らと共にあった
文字通り、夜も昼もない…
殊に学生生活が終わりに近づくほどに
わが4畳半の下宿は
バドミントン「ばか」の溜まり場になった
「愛くるしい」仲間たち…
どこかで体験したような~
映画のシーンと重なる
俺たちの旅、神田川だったか…
そんなような感じだったと
この流行り歌以前の体験が甦り
彼らのイメージを懐かしく想った
男も女も気にする気配なく
だれかれとなく暇つぶしにもやって来た
練習が終わると麻雀…
深夜、合間に皆で連れ立って出かけた
今だに夢に時々出てくる
広島宇品御幸の我が下宿界隈
近くの屋台のラーメン、焼きそば、ぎょうざ…
うまかった。。。楽しみだった…
バドミントンとマージャン…
バドミントン=羽球 と 麻雀=麻 を
を捩り、私の大学卒業を祝し
部内で「羽麻杯」と銘うった麻雀大会も開いた
受験戦争
(1950年、出生数 233万、特殊出生率3.65)に育ち
続く学生時代の…
安田講堂占拠・東大紛争
全共闘•内ゲバ・機動隊
バリケード封鎖・授業ボイコット
ストライキ・デモ行進…
を過ぎた
何のための勉強か…と
エネルギー発散のはけ口を
勉学とは別の世界に求めた
興味半分でデモに付き合いもしたが
特に感じるところがなかった
それまで「世間で言う」まじめな生徒だったと思うが
中学•高校生活の反動か
作用•反作用の法則に沿ったか
とにかくそれまでの生き方を180度変えた
当時の広島大学バドミントン部は
創部後数年しか経っておらず
中国地方5県の中でも弱小
高校時代のバド「経験者」はわずかに2人
そもそもスポーツとしてのバドミントンという認識がなく
少なくとも米子市近郊にはそんな場は無く
母校米子東高にクラブ活動として影も形もなかった
各地から集まった広大バド部の
大方のみんなも似たようなもので
言わば素人のみんなでそれぞれ好き勝手に
「あーでもない」「こーでもない」「これでどうだ」
と言いながら「ワザ」を探り実地テストした
初めて出会う他校のスゴい選手たち…
マネを試みたが公式試合ではほぼ全滅
失望と羨望の繰り返しの歴史
打ちのめされながらも
他校の見事なプレーに感動して広島に戻り
又似たような試行錯誤が始まる
。。。その繰り返し
強化練習、合宿トレーニングは
結構キツく厳しかったおかげもあり
体力的には自信満々で臨みつつも
公式試合に於いて他大学と戦って誇れる戦績はまるで無い
それでも負けず嫌い魂溢れる者が多く
何かにつけて競い合い
トレーニングでは
中長距離ロード走はもちろん
うさぎ跳びで運動場を数周回とか。。。
バック走など
何でも僅差でも勝つと無邪気に自慢し喜んだ
毎年12月になると
大学では恒例のフェニックス駅伝というイベントがあり
長距離走得意の皆がチームを組み
我がバド部は陸上部にも負けん魂の上位
私は1区やアンカーを担当させてもらった
いづれにせよ
とにかく「明日が楽しみ」の日々…
自分の人生を振り返っても
あの時彼らと過ごした存分に自由
夢中に過ごした日々は
夢物語。。。
広島から夢の社会人へと
「さっそうと」東京へ乗り込む。。。
大沢商会入社の
二次試験・役員面接の際
「学生時代、君は何を学んできたのかね」と問われ
「専門は熱力学ですが、人生学を学んできました」とうそぶいた
後日、大東京の洗礼を随所で受けることになるが
少なくともその時は
怖いもの知らず
田舎者だったようだ
でも。。。
「バドミントンばか」の皆んなとの付き合いは。。。
その後
年一度の年賀状のあいさつ…
それも次第に宛先不明になり。。。
私がシカゴに来てからというもの
パッタリ途絶え
お互いが行方不明
当初は私の日本行きも数年に一度程度
それもわずかな日本滞在期間中は
里帰りと仕事…
こうして
昭和が終わり平成 …
そして20世紀も終わった
更にその後も
5年、10年単位で
時は容赦なく過ぎ去り
昔の友を懐かしむ
時間と心の余裕など
ますます無い日がほんの数年前まで続く…
半世紀〜
あれから文字通り50年…
そんな中、今年…
たまたまバドミントン関連の記事が目に入り。。。
時折り夢や映画のワンシーン内の登場人物として
見え隠れしていた彼ら。。。はどうしてる…?
連絡先が分からない。。。
今、皆それぞれ
どこでどうしているだろうか。。。
果たして今でも達者か?
緑内障を告げられた私だが
少なくとも今ここにこうして
「元気で動き回れている内に」
の思いがつのる
そう言えば。。。
彼らは教育学部を専攻していた

「全国教職員バドミントン選手権大会」を見つける
2023年…去年は
北海道開催。。。だったらしい
彼らが参加しているとすれば70歳以上の部
この歳でわざわざ北海道まで行く程に
志高き「バドばか」の極み達の手がかりは…?
全国から集まる70歳を超える
バドばか達はさすがに数えるほどに少ない
そんな中に。。。?
え〜!
あった!
まさかの名を見つけた
まさか の H 、M、F たち
一人は優勝してる。。。?
学生時代、
あの対外的には弱小だったバド部から巣立った一方
小柄でも身体的には自信あり。。。
の者たちのその後の50年
今だに「全国レベル」の現役!?
半世紀前、皆んなと交わした笑みが蘇る
去年は
北海道開催の大会だったが
今年も
大会に行けば再会が叶うかも。。。
今年は
日本全国どこの町の会場だったとしても
とにかく行ってみよう。。。と決めた
それが。。。今年は…?
見ると  何と 「熊本」
熊本県はバドミントン界では全国的にレベルが高い
学生時代に中国・四国・九州の3地区大会があり
当時は九州勢が圧倒していたのだが
その中でも福岡大と並んで最強豪の熊本商大
そこで思い出すのは
東京の大沢商会(田町)勤務時代
会社から三鷹の寮に帰る途中。。。
というより完全に横道に逸れて
大田区の勤労福祉会館でバドミントンしていた
そこに偶然
熊本商大で主将を務めていたK君がやって来た
弱小バド部出身者の我々からすれば雲の上の存在で
当時西日本学生代表選手にも選出された
「業界の有名人」
私は彼を知っているが
彼は私を知る由もない
「西日本」出身でバドしていた
という事で打ち解けた
学年では私より一年若い
私に対し丸ごと熊本弁で「シェンパイ」(先輩)と親しみを隠さない
仲良しになって大田区代表でダブルスを組んで
渋谷区と対戦したこともある
K君はその後地元熊本に帰り
自らラケットショップをオープン

夫婦で子供たちを教えるバドミントン教室のプロとなった
彼とは何故かウマが合った
シカゴに居を構えるようになって以降も
帰国時には一声かけるようにして来た
最近では2018年の10月会いに行った
当時20年ぶりくらいだったろうか。。。
急な思い付きの熊本訪問だったのだが
彼は駅近くのホテルの一室を借りてくれ
一緒に朝まで過ごした
1年365日中360日は体育館にいると言う彼に
私は人生方程式など稲盛哲学を披露してみた
コロナ禍を挟んであれからも
6年の歳月が流れる。。。
彼はメールなどデジタル関連には
ほぼ無縁、無関心の様子
メール交信すらままならないのは不便、残念だが
電話口では変わらぬ優しさいっぱいの奥さんが繋いでくれ
彼のいつもの元気な声がうれしい
「ことし行くよ」
この熊本でのバドミントン会場。。。
熊本県の中でも 「え~!!?」
アッと本当に仰天した。。。
「玉名」!!??
何たる引き寄せ
「玉名市 」 と言えば
3年前の出来事がはっきり蘇る。。。
それについては
以前、下記ブログに書いた
(a) 戻ってきた「硫黄島への便り」(76年後)…(その1)
https://sotexglobal.net/…/%e6%88%bb%e3%81%a3%e3%81%a6…/
(b) 「76年」…「奇跡のはがき」(その3) ….「出会い」と「別れ」
https://sotexglobal.net/…/20210731_%e3%80%8c76%e5%b9…/
Mさんの戦後76年
「奇跡的な再会」に関わらさせて頂き
本当に幸せな時間が持てた
「いつか。。。」と思っていた訪問の機会が
期せずして突然訪れたのだ
是非実現したい旨
Mさんの奥様宛メッセージした。。。
+++
「全国教職員バドミントン選手権大会」熊本大会
組み合わせ表
懐かしの名を探す
今年も70歳以上の部で
全国から22人の猛者が集う様子
祈るようにその名を探し。。。
見つけた
去年の 北海道大会 に見た彼らが
今年の 熊本大会 にも。。。
この僅か全国22人の中に広大バド部出身
しかも私の学生時代僅かに4年間。。。共にした
彼らの名が確かにそこにあった
あり得ない…
天のイタズラ?
引き寄せ?
全国でトップレベルのバドばか達
そして
K君とMさん。。。
修学旅行前夜の少年の心が躍る。。。
いま私は日本行き機中の人
++++++++++
(a) 俺たちの旅
https://www.youtube.com/watch?v=LhNd_lVhF2g
(b) 神田川
https://www.youtube.com/watch?v=nzUKj5fyRKA