「令和」を迎えて…
私は、
日本の高度成長末期・バブル前…「昭和」の終わり頃、
その真っ只中を、大阪で共に
過ごした (戦った? 楽しんだ…?)
友人達 と そのご家族と、
何と!このシカゴの地で再会することができました。
重なる奇跡・偶然の巡り…。
30数年前の写真アルバムを、それこそ何十年ぶりに持ち出したり、夕食を共にしたりして、
それぞれの「昭和」… 20代30代
そのままの今…。
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文字通り日本は新しい時代に入りました。
これからの人生をどう生きたいのかを
「考え」、そして「動いて」いき、
テクノロジーや社会、世界の変化発展に呼応して、
自らもそのように革新できる機会に恵まれました…。
振り返れば…、
私たちは「団塊の世代」と呼ばれる、
日本の高度成長時代に(も)長く身を置いてきました。
その一方で、
私たちを育ててくれた親たちは、
今の戦後生まれの、
まして平成の時代に生きた者には全く想像を絶する時代の波、うねりにそれぞれの一生を捧げました。
しばしば言われてきたことではありますが、
顧みれば、経済活動を含む日々の暮らしに忙殺され、
学ぶことも考える事も怠ってきたかのような日々でした。
私たち自身が実際に見聞きしたこと、肌身で経験、体感した教示・教訓、精神、糧などの価値 を
直に上手く正しく自らの言葉で伝えることが充分できていたのだろうか…?
新しい御代を迎えるにあたって、
周りの環境やメディアの一方的な情報や考えに踊らされ惑わされ、
好むと好まざるとにかかわらず、
知らず知らずのうちに
「考えること」を放棄し思考停止状態に陥入ってしまわないよう、
面倒がり屋さんで、危険や不安を優先する自分自身の
「本能」に反対され足を引っ張られないよう、
情報リテラシーを高めることで
「理性」によって、脳を働かせ汗をかく作業を自らに課したいと思っているところです。
今現在、北方4島の領土返還問題がメディアで盛んに取り上げられていますが……
「北海道」を守るため、
そしてさらには
「日本」という国体を守るため、
10代後半から20代にかけての若者たちが、命を賭して国のために戦った…という歴史とその魂…。
結果として、私を含む多くの人たちが関る歴史的事実に興味関心を見出せない…
日本人としての自信と誇りを失っているかのようです。
今やどんどん進化するテクノロジーの時代、情報通信の時代…
ネットや動画によって得られる学びの環境や場を活用し、自らの進化成長の拠り所としたいと思う気持ちが強まりました。
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令和元年、5月1日付けニュース配信番組(ネット)の中で、
部下として戦地で共に戦い、
1945年8月18日(17日深夜)
「オレも今から死ぬんだ」と思っていた…
と当時を振り返り、
「わが青春に悔いはない」とする
今日まで生き長らえた者(今日現在91歳)の証言として、
池田末男(当時45歳)という人が
生々しく紹介されていました。
池田の陸軍戦車学校時代の教え子に、
作家の司馬遼太郎もおり、
司馬は池田から大いに薫陶を受け、「いまでも、私は、朝、ひげを剃りながら、自分が池田大佐ならどうするだろう」と自問し、「わからない。何十年たっても答えが出ない」と述べていたとの事…。
占守島…カムチャッカ半島の近く、
当時の日本の北端の島にあって
予期せぬソ連軍の侵攻
(日本人の目からは ”火事場泥棒”、裏切り…)
を食い止めるべく戦った…。
8月15日の玉音放送
(日本人のみが「終戦」と考えた日)
の直後、連隊長として
若き戦士達を前に訓示…。
歴史によって蘇り、
(彼の言葉、問いに応じた、かの如く)
今の私にとっても大変胸を打つものでした。
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* 1:19 辺り(動画内) 参考 ➡︎
「われわれは大詔を奉じ家郷に帰る日を胸に、ひたすら終戦業務に努めてきた。
しかしことここに至った。
もはや降魔の剣を振るうほかはない。
赤穂浪士となり、恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか?
白虎隊となり、玉砕をもって民族の防波堤となり、後世の歴史に問わんとするか?
…… 一同は、「おおー!」と言って手を上げ、突撃した。
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今の普通の日本人では、到底想像も及ばない師範学校での教育、「士魂」…侍魂の一端が垣間見えます。
一方で、
戦後の(現在の) 学校教育、メデイア報道姿勢…
いわば、何故か
教科書は絶対に教えない
メディアでは絶対に報じない
政治家は絶対に語らない
などの事実、真実に付いて、
忘れてはならない
伝えなくてはならない
心を揺さぶる「時代の記録」の数々。
今、そして未来のネットでの教育環境や個々の学習の機会を通して、
日ごろから主体的に「教育」や「学び」の重要性を再確認し、自らの人生の幕を下ろすまで生涯学習、そのプロセスそのものをエンジョイしながら継続させたいものです。
そして…
「38歳」と「公然と?」自らを称してはばからない生き方をしつつ、その役割を演じたいです。