ロングヘアー、「常識・非常識」

今週末、ホントに久しぶり…約一年ぶりにリアルでみんなと顔合わせすることにしました
モニターで着の身着のまま…
気軽に誰とでもミーティングできていたので
すっかり出不精になってしまっていた…
勉強会、懇親会、ゴルフ…
テネシーからわざわざ10時間もかけて遠来の仲良し友がシカゴ入り予定。丁寧に確認メールや電話も頂いたので、今回ばかりは身体の「受け入れ準備」に、待ったなし…
PCモニターではどうにか隠せていた
非常識な超ロングヘアーは
いくらなんでもあまりにも…
というわけでヘアーカットしてきた
我ながらとんでもない”髪型?”だった
脅威の、約二年ぶり…ヘアーカット
コロナ禍という「非常識な時期」の「非常識なヘアー」だった
クラブを握ることすら一年ぶりとあって
まずはゴルフのための基礎トレーニングとして
ランニングを再開
シューズも買い換えることに…
ランニングシューズの店の人に
散髪屋さん(バーバーショップ)が近くにないかと聞き
運良く、車で3分のところにRoostersという
男性専門の店を紹介してもらった
これまで自分の姿かたち
ましてヘアーにはあまり関心なかったこともあり
シカゴに来て33年になるが
男性専門の床屋に入ったのは
恥ずかしながら初めて
「Interesting!」と
女性スタイリストに言われるほどの変容
耳の上まで完全に見えるようにバッサリ短く!
と頼んだ
おかげですっきり❗️
こんなに気持ちいいなら
もっと早く来ればよかった
「非常識な時期」の「非常識なヘアー…」
と上記したが
何をもって「常識的」とし
何を持って「非常識」と捉えるか?
「常識…」
普通の感覚の普通の人にとっては
学校の教育や勉強、テレビやネットのニュースに長年慣れ親しみ積み重ねてきた情報や知識、それに自らの経験が加わった認識が常識の源になっていることだろう
ただ…
日々の生活に追われる…
ほとんどのそんな普通の人にとって
テレビやネットからの一方向の垂れ流し情報の
是非、妥当性、正否、確かさ、や
ある一定方向の意思が働いている とか、
視聴者に抱いてもらいたい感情や思いの意図
について
報道のベクトルがどちらに向いているのか
注視している人、読み取れる人が
どれ位いるだろうか…
流れる情報を流れるままに
ぼーっと視聴しているだけだと
それらは
時間の経過とともに自分の潜在意識の中に
奥深く入り込んで、
知らず知らず
いつの間にか自分の良識を「悪さ」する
悪さされた良識が自分の常識になっていたのではたまらない
思い出すのは、子供の頃よく言われていた言葉
「テレビを見すぎるとバカになる」
自分の脳を働かせなくても、
知らない知識、いろいろな情報が
勝手にどんどん入ってくる
知らない知識、いろいろな情報が
入ってくる…?
これは単に錯覚しているだけではないか?
知らなくていい情報
知る必要のない情報
むしろ、
知ることで害になる情報
昔はそうでもなかったとは思うが、
昨今はメディア報道のレベルが大きく低下した
…と聞く
本当に私たちに有益な
知りたい情報を提供してくれているのだろうか…
一方で、もう一つの観点
頭を働かせなくてもいいのは
楽ちん!
頭を働かせなくてもいい
あれこれ考える必要は無い
よって
楽ちん と
思考力低下=脳の老化
はトレードオフの関係にあることに気がつく
恐れるべきは
脳の低下、老化とともに
怠惰、堕落の道に進むことだ
すなわち
面倒な「考える」作業を避けるようになる
異論・反論をはねつけ
意見の衝突を避け
ひたすら、ぬるま湯を好む
自分の「箱庭常識」にこだわる
その状態で、日々接するメディア情報に対し
どれほどに理解が及ぶのだろうか…
SNSの進展した過去10年
中年世代以上の人たちが、
楽チンなテレビから離れられない一方で
これからまだまだ長い人生を歩む
若い人がテレビから遠ざかったのは
必然と言えば必然
SNSは
偽情報、どうでもいい情報の海
おそらくほんとに自分にとって有益な情報は
1%も無い
逆説的だが…
だから良いとも言える
自分の脳を使わざるを得ないのだ
取捨選択を「自分が」行う
ただ…
自分の好みの
人物や情報の内容
に偏りは出る
偏りの良し悪しは
自然でありやむを得ない
良く言えば、その道の専門性が身に付く
悪く言えば、バランスの欠いた人間になる
しかしながら
いずれを取るかは
自分の人生の選択であり
その選択も自由自在に
歳、年月とともに変えていけば良いだけの話
++++
ところで…
自分の「常識」を形成する過程で…
学校の教科書
先生や親からの学び
国や首長…公、「お上」の公式見解
は、
特に歳若き頃に会得した情報であればあるほど
自分の身体の中に最初に入った第 一情報が
「正しい」として最も強い影響を受ける
という人間の特性がある限り
仮にそれが誤りであったとしても
あるいは
学んだ当初は正しかったモノが時代にそぐわなくなってきたとしても
その常識を覆すのは
大変なエネルギーと勇気を必要とする故
容易ではない
そこで私は
これまでの常識を否定するのではなく
むしろ
相応にリスペクトする必要ある…
のではないかと思う
が、
リスペクト=尊重…
あくまで絶対視するという訳ではない
言わば、思考、脳内作業過程の
● ステップ(1)に過ぎない
ステップ(2)以降が大切
個人の成長、ひいては
その人の属する家族、グループや会社、組織
のレベル、国の民度等に大きな影響を及ぼすことになる
● ステップ(2)とは…
異論、反論を一旦は受け入れる作業
そして
これまで自分の中では常識としていた認識との「違い」を考える
その思考過程で「一致点」が何かを探る…
= 脳磨きする
言うは易し…で
異論・反論を受け入れるという行為は
想像以上、なかなかにハードルが高い
自分のこれまで生きてきた人生や価値観を
全否定する事にもつながりかねない
自尊心を傷つけられた、と
相手に対して感情的に認めたくない…
怒りさえ湧く
そんなことなら
話題そのものから逃げ
避けた方が
楽…か?
ただでさえ忙しい日々の生活に追われる中
普通は、
普通の人にはできない
だから「勇気を持って」
と言われる所以だ
盲目的に自分の常識を堅持するよりも
(その勇気を持つことで初めて得られる)
異論・反論に触れることを通して
物事の本質に近づけるのではないだろうか
● ステップ(3)
よくも悪くも人間の特性として「忘れる」がある
せっかくステップ(2)を通して得られた
自己の変革・成長・発展・飛躍の機会を
そのまま放置してしまうのは実にもったいない
放っておくと
自分や家族の生活に直接関わりない
話題や知識は
忘却の彼方へ…
だから行動=アウトプットの力を利用する…
自分の脳で考え咀嚼して
次の行動に結びつける
相手は誰でも良い
少なくともステップ(2)を通した自分の考えや情報を
周りとシェアする行動
テキスト化、可視化することで脳内を整理できるし…
自分が少なくとも
「他人に良かれかし」と思ったことや内容は
周りにもプラスに働くことが多い
● ステップ(4)
アウトプット後には、
ほぼ間違いなく
周りからリアクションという「果実」が得られる
成長のための果実だ
賛同もあればもちろん異論・反論もある
かくして「常識」のアップデートに至る
即ち、
(1)常識→(2)異論.反論の受け入れ→(3)アウトプット→(4)新常識
私にとっても
なかなかにチャレンジングな課題でもあるが
その日々の繰り返し体験…この習慣化こそが
物事の本質に一歩でも近づく礎となる
+++++
折しも、日本では参院選の真っ只中
公の場で
「こんなこと言って大丈夫…?」
自分や家族の生命・財産をかけての国士的行動をみると、日本も捨てたものではないではないか、と…
その熱量と魂が刺激的で嬉しく、安堵もする
その専門知識、旧態然とした常識に立ち向かう勇気ある人々に感動し励まされ、時に涙腺が緩むことすらある
二年前の米国の大統領選の
今度は日本版だ
これまで、学校教育やテレビ・ネット情報を通じて一般的に「常識」とされてきた各課題、事象に対し、ことに新興政治グループの勇気ある「非常識」な訴えが清々しい
盛り上がっていない、との報道も聞こえるが、少なくとも私には、この大きな時代の大転換期であるが故の、とても大きな新規ムーブメント、波動が伝わってくる
一般に流れる日々のニュースは「建前の世界」
危機と常に隣り合わせに居続けていたにもかかわらず
77年間、幸運にも自分の国土で
他国からのあからさまな侵略を受けなかった
私自身のこれまでの常識を振り返って
不勉強を省みる
惰性と利権に生きる政治家やメディア…
彼らを支持し続け「サイレント・インベージョン」も他人事、どこ吹く風の大多数のいわゆる「常識的」日本人…
他国の人も自分と同じく「いい人」に違いないと信じて疑わない
信じる事は美徳だが
疑わないというのは誤りだ
自分で学んで確認する作業が必要
そのままでいると
この大変革期にあっては
常識=制服・建前の世界で生き続ける
ある意味、
「箱庭の世界」で
せっかくの一回しかない人生
楽ちんを目的化して生き続ける…
自分は充分? と問いかける
今だけ、金だけ、自分だけ、
家族だけ…?
人それぞれ故
これまで培ってきた「常識」にこだわり続けるのもよいが
私には
何か虚しく感じる今日この頃だ
すごいな、すばらしい!
と思える人に近づきたい、その人から学びたい
常識のアップデートをし続けたい…
たとえば…
● 歴史…
「制服の歴史」と言えばわかりやすいかも知れない…
どこの国も建国の話に付いては本当の事は言わない、自国の愛国心を掻き立て、誇りを持たせるような内容に「仕立て」ている…はず
なのに「日本」は…‼️
一体どこの国の教科書なのか…と、GHQ検閲の下、戦後の歪んだ中で生まれた記述が、いまだに存在するとはとても信じられない
● ロシアxウクライナ
日本の一般テレビ報道にそのまま接し、盲目的に受け取り続けている人にとっては、プーチンのみ悪者…になるのだろうか? 少なくとも米国に従属する日本政府はその立場
本来、これは国と国の喧嘩
喧嘩の背景を理解した上で
いかに仲裁、和らげ止めるか
が中心に据えるべき…
(1)哀れなのは、ただひたすら(ウクライナ)一般国民が犠牲になっていること
(2)両国の為政者がその回避努力を十分に行わなかったこと
(3)その両国の喧嘩をむしろはやし立て、自分の利権のみにしか興味を持たない第三者組織・グループの存在
にあるのは信じがたいが
残念ながら
その事実を直視せざるを得ない
従って
今のウクライナが日本であっても全く不思議ではない…
と考えない方がむしろ異常だ
なのに
北海道や沖縄の現状を見るにつれ
強い違和感を感ず
むしろ不思議なくらい…
どうでもいい知識や情報に振り回され
他人事に思っている人たちの多さに驚く
● コxナ & ワxチン
そもそも、このタイトルを“x”入りで記述しなくてはいけないほどに情報統制がある世の中…
当初「そんなバカな…」の思いが
今や世界の常識とは…
結果、この話題で人々が分断された
親しい友人、家族の間であっても起きた
利権にまみれた権力者はいずれ
これも無かったことにするのだろうし
味をしめて
同じことを繰り返すことだろう
● 食、塩分
ためしてガッテン、NHKや
○○先生がそう言っていたからではダメ
これこそ、自分の健康にまさに日々直接響く問題
まずは
これまでの自分の常識を横に置いて
異論•反論を一旦は受け止め
しっかり自身の脳で考え実践してみる…
上記ステップ(1) 〜ステップ(4)にて
自分なりに組み合わせてみる
自分と家族の健康を育む
ちなみに・・・私の属するコミュニティーの人の方針
塩・・・加塩(塩分はおもいっきり摂取する)ただし、海塩か岩塩に限る。
牛乳(乳製品)・・・なるべく控える(現代は摂取0はほぼ不可能な為)
糖分・・・なるべく控える(現代は摂取0はほぼ不可能な為)
麦・・・なるべく控える(現代は摂取0はほぼ不可能な為)パンもなるべく食べない
油・・・圧搾抽出の物を選ぶ
たばこ・・・やめる気有りません💦
++++++
いずれにせよ、
「実は自分の常識が間違っているかもしれない!!」
と思うことが出発点
普通の感覚の
普通の日本人.…
従来からの常識に捉われ、
その常識にひたすら沿って物事を考え
行動する人にとっては
今のような
情報化社会
情報操作統制社会
革新的技術同時多発時代
にあっては
そこはかとない不安が
今後も続いて行くことだろう
自分や身の回りの人たちを守るためにも
学び続け、有益情報を取り入れ、思考し
知識武装し
たとえわずかでも行動に結びつけるのが
生きてる感がするし、良策な気がする
そのためにも
勇気を振り絞り
自らの固定観念の殻を打ち破り
これまでの常識をアップデートし続ける必要がある
人の生き方は自由だが…
「冷めた人たち」が
社会を発展させることは絶対にない
多くが何の願望も持たず
何の挑戦もしない社会が
発展することは有り得ない
社会を発展させる人が居るとしたら
やはり
強い願望を持ち
自らを変革する勇気を持ち
これまでの常識の殻を破る人…
挑戦に踏み出す人
「一般常識」外れの苦痛から学び
成長している人
先人が私たちに託してくれたように
後人に少しでもいい位置でバトンを渡す
心構え
考え方は異なっていても構わない…
そんな生き方を実践している人の側で
最後の最後まで
お互いに刺激し合える生き方をしたいと思う
そして、できることなら
物事の本質を見極める言葉と思考に接し続け
既成概念にとらわれない
大きな視座で国際情勢を俯瞰
ぶれない日本人としての軸を得たいものだ