76年ぶり、戻ってきた 硫黄島への便り…(その1)

戦時中 (大東亜戦争)に
息子達を送り出した父親の便り…
1944年11月頃、
本人に確かに届いていた。
地下壕…「硫黄島」の戦い
最後の最後…1945年3月
その人が
玉砕する直前まで肌身離さず抱いていた
その家族からの便り。
抱かれていたその便り…
米国に持ち帰っていた米軍兵士がいた。
パイロットだったその兵士は、
その便りの存在を、
家族の誰にも伝えることはなかった…
が、
「洞窟」で見つけた…らしい。
その間、
ただ静かに鞄の中で76年の歳月は
冷然と確かに流れていった。
縁あって、
今年、2021年に入り
兵士のご家族から知人経由、
私の元に届きました。
実に76年余り経ち
日本人の元に戻ったその便り。
「父の日」にあたり
その一文、ひとことが
特に今日、
胸を激しく揺るがす。
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「十郎も折を見ちゃよく来る
そのうちお召しがあるだろう
一家から四・五人出ちゃ俺も名誉だ
銃後は完全に引受けた。
お国のため充分 働いて貰いたい」
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当時、この島にいた、
私たちの祖先の方々が、
本格的な米軍の日本・本土侵攻を
たとえ一日でも…
少しでも遅らせようと
命を賭して守ろうとしてくれていた…
日米を問わず、
全世界の兵士一人一人に
母国に待っている人がいる。
彼らは…
ただただ
母国に待つ家族の元に戻るため、
そしてある人は
母国のために
戦った。
何世代か後の今、
現代を 引き継ぎ、
現代を 生きる私達。
子孫であるべきすべての人に
このことを伝えたい。