投稿日: 2024年11月24日

この数ヶ月、ほぼ「テレビ無し」
の生活が続いていましたが、、

突然の、2019年末の盛和塾解散の報、
を受けた直後、
ということもあって、

大河ドラマ「西郷どん」(せごどん)
の最終回。
せめて最後だけでも…
という訳で、久し振りに
電源を入れました。

私たち塾生にとっては、
稲盛和夫 = 敬天愛人 = 西郷隆盛

そこで、西郷さん…
この機会に
学んでおきたい
と思いました。

西郷吉之助隆盛…
1827.12/07 – 1877.09/24
薩摩藩下級武士の生まれ
幼名は 小吉
雅号は 南洲
49歳没… 「おいの体はさしあげもそ」

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海外情勢に通じ
西洋流の技術導入に熱心な
島津斉彬に認められ、

そのお陰で
表舞台での政治活動、
そして
政治工作の腕を磨いた。

にも拘らず、
島津斉彬 を失う一方で
久光とは不幸な関係が生涯続き、

30歳入水自殺未遂の後
二度にわたる島流の刑。

この生死の境をさまよう極限の環境の中で
荘子や朱子らが説いた「言志録」など
1300冊貪り読むなど、

「辛酸骨に透って吾が真を看る」と、
生きることの意味 を問い、
その結果
秘められた境地は…

「天」
「天を怨まず人を咎めず」

そして、

「敬天愛人」
「天を敬い人を愛す」

……「天は人も我も同一に愛し給う故、
我を愛する心を持って人を愛するなり」

即ち、
運命も欲望も天に任せ、
自我を捨て去ることで己の道を切り開く

厳しい極限の牢獄生活からの悟りで
全く変わったのでしょうか…
これまでの独善的、尊大とも
受け取られがちな姿勢も一変。

元々の
政治的手腕などの才能
ネゴシエーターとしての才覚
そして
創意工夫の努力家
に、

「人間」西郷 が
加味されていったのでしょう。

その後…

長州征討
薩長同盟
大政奉還
江戸城無血開城
戊辰戦争
廃藩置県
李氏朝鮮との交易問題
そして…
西南戦争。

勝海舟は
彼を評して、

度量が大きく、
人に好かれ、
人徳に溢れた人物

として、
人々に愛されてきた…。

しかしながら、

人に優しいのか、冷たいのか?
人に愛されるのか、憎まれるのか?
人を愛したのか、憎んだのか?

等、
真逆の伝えられ方、見方もあります…。

が、これは、

稲盛さんから繰り返し
私たちも学び続けている言葉

相矛盾する両極端の考え方を合わせ持ち、
それを正常に機能し続けられる能力 を

最高の知性

という…、

に通じており、
当然、必然でもあります。

いずれにせよ、
次から次へと大事を成す…、
成功を繰り返して来た過程で、

一体どれほど圧倒的な
人望や政治力を発揮して来たのだろう…。

しかし、それでも最終的には
英雄でありながら
賊臣として非業の最期を遂げた…?

幸せな人生だったのだろうか…?

それは、究極的には
本人でしか分かり得ない
永遠の謎、ですが、

「もうここでよかごわそう」と
この世に残した西郷49歳の最後の言葉は、

凡そ300年前に走り
ほぼ同じ歳に散った
織田信長の謡った「敦盛」や「幸若舞」
に類似した達成感なのでは…?

安堵感、満足感が
漂っているようにすら見えます。

もともと、
敵も味方も無い…、
と考えている、とも思える西郷…。

その死を知った勝海舟の歌は、
「ぬれぎぬを干さむともせず、
子どもらのなすがまにまに果てし君かな」

死後、
「敬天愛人」の言葉を後世に残し
人々に
「西郷どんは、死して星になったのだ」
と、伝説を伝える…

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幸せ とは?
喜び とは?

そして、
人生の目的とは…?

翻って
私は何をしたいの?
今、何をしているの…?

ワクワク、ドキドキを
桁違いのスケールで走りきった彼の人生。

それに憧れ、畏敬を覚えながら、
西郷さん …に
(ほぼ100歳違いの)
稲盛さん
を重ね合わせ、

100年前の時代と対照させ、

実際にお目にかかり、
シカゴと、郷里の米子でも
言葉を交わせることのできた
今の時代の不思議な時間を
思い浮かべているところです。

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「敬天愛人」
……「天は人も我も同一に愛し給う故、
我を愛する心を持って人を愛するなり」

運命も欲望も天に任せ、
自我を捨て去ることで己の道を切り開く

「己を愛するは良からぬことの第一也」

自分の会社の事だけを考えるのは最も良くない。
目先の損得に惑わされず、
心からお客様を愛すること。
それより再生の道はない。

2012年9月19日
日本航空株式会社
東京証券取引所に再上場

 

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