しょうゆと言えば、日本を代表する調味料の1つとして大半の家庭で置かれているものです。
そのため日本独自の調味料というイメージを持つ人が少なくありませんが、
今やワールドワイドに使用されている調味料の1つとなっています。
実際に日本の大手醤油メーカーであるキッコーマンは、売り上げの約57パーセント、
営業利益の約72パーセント程が海外展開により得られているのです。
この様に売り上げ高の半数以上が海外から得られているという状況が、続いています。
そしてそんな海外展開で成功する足掛かりと言えるのが、
1957年に実行されたアメリカ進出でした。
キッコーマンは戦後順調に国内での売り上げを伸ばして急成長していたものの、
徐々にその売り上げの伸びも鈍化して行ったのです。
早くも昭和30年代には売り上げが頭打ちになりつつあり、
そういった状況の打開策としてアメリカへの進出を行う事にしました。
戦後多くのアメリカ人が日本を訪れており、そういった人が
しょうゆを体験して存在を知っていたのです。
しかもアメリカ人の好みに合わせて、しょうゆが肉料理に合う事をアピールする事で
彼らの多くに興味を持って貰い輸出自体は伸びました。
ところがしょうゆ自体価格や安い上に、日本からの輸送費が掛かるために
海外進出当初は赤字続きだったのです。その上、現地生産を行おうにも、
大きな投資が必要なためそれも実行出来ず、赤字を少しでも削減すべく
現地で瓶詰めするといった地道な努力を続けました。
赤字続きでも諦めずに、将来性を信じて続けた事が大きかったです。
こうして地道な赤字削減策により、収益はトントン程度まで持って行きました。
こうしてアメリカでしょうゆに対する需要がある事を確認した事で、
いよいよ本格的な海外展開の拠点となるべく、生産工場を建設する事になったのです。
このアメリカの工場は昭和48年に創業を開始し、昭和50年には黒字化を達成しました。
こうして海外でもしょうゆの需要が高くある事を確信したキッコーマンは
アメリカでのビジネスモデルを参考にしつつ、昭和54年に欧州にも販売会社を設立したのです。
更に平成9年にはオランダ工場を造る等、その後も積極的海外への進出を続けました。
その結果現在では、キッコーマンは世界100国で事業を展開する程にグローバル化した
企業となっているのです。キッコーマンのしょうゆが世界中で需要を得られた理由としては、
やはり早い段階から海外を意識した事が大きかったと言えます。
更にその国の食文化に合わせる形でしょうゆを活かす方法を提案して行った、
という日本企業らしい丁寧な戦略が功を奏したのです。