「人生の四季」

先週金曜日は荷物の出荷が重なり結構バタバタした日でした
我が家 兼 事務所:SOHO(Small Office/Home Office)
いつものFedExドライバー二人が相次いでピックアップ
(1) ITW (North Carolina)向け。。。 via FedEx Groundサービス
(2) Stryker(医療機器製造大手・メキシコ工場)向け。。。 via FedEx Int’l Expressサービス
一方、同タイミングで
(3)信越化学米国工場(Vancouver/WA)向け。。。 via 日通(日本からの直送)
に無事搬入
このところ引き合い・問い合わせが少なめで
米景気について少々気になっていたことでもあり
出荷や注文、新規見積もりなどでバタつくのは
気分的には落ち着くが。。。
このバタバタは
体調・とも要相談かもしれない…と思うようになった
大波・小波が訪れる日々
心の安定と物理的チャレンジのハザマで
揺れ動く
人生「100年時代」。。。
人生を四季に例えると
今では、こんな感じになるだろうか。。。
第一の春(0-25歳):学びと可能性の開花
第二の夏(26-50歳):成長と確立
第三の秋(51-75歳):充実と収穫
第四の冬(76-100歳):英知と伝承
「春」「夏」はともかく
充実と収穫の「秋」を過ごせたかというと
私にははなはだ疑わしい期間だった
今月・10月、無事74歳を迎えることのできた私は
そろそろ第三の「秋」から第四の「冬」支度にかかる。。。
生涯現役・修行、臨終定年の意気もあり
秋を延長させてもらいたいところだが。。。
この節目に先立ち「理解に徹す」という生き方について
学び直したい
「まず理解に徹し、そして理解される」
コヴィー博士 の世界的名著「7つの習慣」の
第5の習慣である
「理解に徹す」
なんて当たり前でシンプルな事だろう。。。
と思うが
稲盛哲学同様。。。
誰もが「言葉として」知ってはいても
いざ「実践・実行」となると話は別。。。難しい
難しかった。。。。
少なくとも私には
これからもずっと続く永遠の課題になるように思える
「私たちは物事をありのままに見ているのではなく、
私たちのあるがままに見ている。」
。。。「相手を理解することの本質」を語りかけている
私たちの心には、これまでの人生で積み重ねてきた
経験や価値観という「レンズ」が備わっています
このレンズを通して世界を見る時
それぞれが独自の色合いや形を帯びて見える。。。
「パラダイム」と呼ばれる世界の見方です
「若者は自分勝手だ」
「シニア層は頑固だ」
「あの人は。。。だ」
といった調子の先入観が本当の理解を妨げている
例えば、雨の日
ある人は憂鬱に感じ
またある人は植物たちの喜ぶ姿を想像するかもしれない
同じ現象でも、私たちの持つパラダイムによって
まったく異なる意味を持つ
捉え方次第でプラス・マイナス真っ二つに割れるごとく
このパラダイムは私たちの人生の航路を決定づける羅針盤となる
考え方が変われば行動が変わり
その先に待つ結果も自ずと変わってくるので
「変化のサイクル」と呼ばれ
人生における変革の鍵となります
結果を変えたいとき
多くの人は「行動を変えよう」とする
しかし、本質は
相手への理解を深め
その理解に基づいて考え方を変えていくこと
そこから生まれる行動の変化によって
より「自然で持続的」なもの
となり得るというわけだ
言うは易しで、実践することが難しい。。。と述べたが
他者との関係性において
どのようにしてパラダイムの違いを乗り越えていけばよいのだろう??
その答えは。。。
「心で聴く」 という姿勢
。。。と「7つの習慣」には述べられている
単に言葉を耳で「聞く」のではなく
相手の立場に立って深く「聴く」
「理解に徹する」姿勢は
Listening(リスニング)に近い
単に音として言葉を捉える
Hearing(ヒアリング)とは異なる
心を開いて相手の言葉の奥にある
「思い」まで受け止めようとする「積極的な行為」
まるで、相手の心の風景を一緒に眺めるように。。。
相手の世界観に寄り添い
その人固有の物語を理解しようとする「意識的」な営み
真の理解とは
自分の「物差し」を一旦脇に置くところから始まり
相手の立場に立ち
その人の人生経験や価値観、感情に寄り添うこと。。。
相手のパラダイム(世界の見方)を理解することで
自分自身の視野も広がり
より創造的な解決策が見えてくる
相手のパラダイムを理解しようとする姿勢は
個人間の関係性を豊かにするだけでなく
家族関係、組織や社会全体をより良い方向へと導く力
とは言え、これまで
「理解に徹す」。。。言葉としては知りながら
できそうで。。。。
そうはいかない。。。
いかなかったことが身にしみる
だからこそ
再チャレンジとして
人生の  秋 =>冬
に向け新しい門出としたい
コヴィさんの語る下記「クレッシェンド」の如く。。。
+++++++++++++++++++
コヴィー博士 (Stephen Richards Covey) // (1932.10.24 – 2012.07.16)
は、来日時、同年1932年生まれの
稲盛和夫氏 // (1932.01.21 – 2022.08.24)
と2011年に対談した。。。。
。。。因みに、ちょうどその頃
稲盛さんがJALの再建に向け超多忙の折でもあったが
又、個人的には私にとっても
同氏とシカゴで言葉を交わすことのできた
まさに同タイミング(2011年5月)の時期でもある
稲盛さん と コヴィー博士の考えや思いの本質は
かなり似通ってはいるが。。。
仕事で成功を収めようとするならば
誠実に本当に必死の努力をしなければ ならない
そのためには、なんらかの犠牲は伴うもの
結果として。。。
家庭に相当な犠牲を伴った(稲盛)という点に於いて
組織・企業経営者の稲盛
講演者・教師・コンサルタントのコヴィー博士
二人の間の微妙な違いを当時興味深く感じた
(対談記事:「PRESIDENT」2011.08.15号)
この記事の締めの言葉。。。
コヴィー博士の下記のメッセージは
10年以上経った今でも私の心に強く残っている。。。
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『Live Life in Crescendo』
クレッシェンドというのは
音楽記号で段々と音が大きくなっていくことを表します
人生もクレッシェンドのように
段々大きくなっていくように生きましょうということを訴えたい
それは何を意味するかといえば
今より素晴らしいものが
「将来に」待っている
まだやらなきゃいけないことが
「将来に」たくさん残っているということなのです
過去にこだわるのではなくて
クレッシェンドのような
どんどん「ボリュームアップしていく」ような
そんな「素晴らしい人生を生きるんだ」というメッセージです
まだ先に何かあるんだ
もっと先にもっといいことがあるんだ
という「強い気持ちを持つ」こと
そして、引退するのではなく貢献し続けること
それが鍵になります
その貢献の対象は、まず第一には家族
その次に社会ということです
この考え方は重要だと思います
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*** コヴィー博士は
残念ながら、この対談の翌年2012年に亡くなられましたが
人生を文字通り、最後の最後まで
「素晴らしい人生を生きるんだ」という意思を貫き
言葉通り実際に一点の曇りなく
「素晴らしく生き抜いた人生」だったことでしょう