「リスク&リワード」& 「逃げる」

政治•経済•社会問題であれ
ごく身近な自分の仕事や家庭環境
人間関係の問題にしても
「逃げないで」
正面から真摯に向き合い
その問題に対応していくのが大切…
と教わってきている
それは…
多くの場合
正解ではあっても
「すべての場面で」
と言われると
いささか疑問に思う
ことに人間関係においては
それが
正しい選択なのか
有効なのか
真実なのだろうか
と思い悩むこともしばしば
そういえば…
盛和塾を通しての学びの中で
時間をかけ
誠心誠意言葉を尽くして相手を説得しようとしても
無理・無駄なこともあり
そんな人もいるので
その場合、
ありがとうございました と
その場、その人から静かに立ち去るのが良い…
があったように思う
「ドリームキラー」という言葉がある
相手の夢や目標を壊そうとする人たち…
誰でもこれまでの人生で何度か出会ったのではないだろうか…
私の場合も
就職した時
職を変えた時
家を買った時
東京から大阪へ、
さらにはシカゴへと全く別の環境に身を置いた時
企業買収、自社ビルを建てた時
新しい事業の立ち上げの時
個人企業として再出発した時
投資した時…
などなど、
いわゆる大きな決断をするときには必ず存在した
あなたには
「無理だ」「失敗する」「危ない」「やめた方が良い」
ライバルにあたる人や自分に敵対する人ではなく
親しい友人や家族からそのように言われると
これから新しい環境に向かって頑張ろうという
せっかくの熱い気持ちはしぼんでしまいがち
ただ、
振り返ってみると
私の場合は概ね
熱い気持ちそのままに進んで来れたような気がする
当然と言うべきだろうが
その分はやはり、
とてつもなく大きな代償を払うことも何度か体験させて頂いた…
大小は別として今も続いている
という現実をみると
投資の世界と同じ…
人生そのものが
リスク&リワードで成り立っているのだろう
その時その場の決断なくして、今の自分はない…
思い切りが強すぎたところもあったかもしれないが
中途半端な生き方はしてこなかったという自負もある
でもやはり一般的には
自分の考え方のレベルや環境が
変わっていけば変わっていくほど
昔の「よき日の私」に戻って欲しい
留まっていて欲しい
と願う周りの人たち
そんな現実に向き合うことにもなる
純粋なやさしい、善意から出た言葉であるだけに
その気持ちにも寄り添いたい
+++++
「アランの幸福論」
人間関係の中で相手に期待し得る唯一の事…
それはお互いの本性を認め相手が自分自身であり続けるのを求めることだけである
その人があるがままの姿であるのを望むことが真の愛である
+++++
私自身、小さな「xxx」キラー
に日々接している
ところで…
少し横道にそれるが
先日メンタリストだいごさんが
不可解な5つの点があるとして
マスメディアなどテレビのやり口を解説していた
いわゆる
切り抜き、印象操作
①テレビには台本があるはず
②TVが望まないものはカットされるはず
③編集したら全責任はテレビが持つはず …なのにその責任感は全くない
④大スポンサーを害する発言は放送されないはず
⑤以上の事実をどのメディアも指摘しない
以前、頻繁にテレビ出演していた人
今、自らの意思でテレビを「卒業」し
YouTubeなどのSNSで数百万人の視聴者を集めている人の業界の内幕を暴露した「はず」言葉だけに説得力がある
更に、ある番組で
「今でもTVを信用している人がいる」
「印象はいくらでもコントロールできる」
というエッジの効いた発言もあった
先の戦争前・中・後の経緯
米大統領選挙、日本の総裁選挙
そして今…
科学的合理性も不明瞭のまま
まして
矛盾を指摘する声や相反する意見、情報・考えを封殺したまま
コロナ→PCR検査→ワクチン、マスク等…
健康や経済を犠牲にしているかのような一連の流れ…
私の中ではすべて符合する
統計によると
20代30代の若い人たちはほとんどテレビを見ない…
見ているのは殆どシニア世代
シニア世代は
逆に玉石混交のSNSなどデジタル情報に縁遠いどころか、
信用しない、信用できない…
だから見ない
従って「玉石」の内の「玉」をも見つけるリテラシーを磨くこともできない
でも…
そのシニア世代こそ
激動の20世紀を生き抜き
日本経済を引っ張ってきた成功体験が多い
したがって
その体験、価値観、体制に執着
その結果
自らの価値観を
これからの人生をも含めて総括し
身体的な老化を感ずるに応じて
精神的にも「一丁あがり」
を早々と決め込んでしまう
人生100年時代であるにもかかわらず…である
テクノロジーや社会の仕組みの大変化に追いていけない
のはやむを得ないとしても
マインドセットの点でも次世代、次の時代から離れていく
常識はずれ、破天荒
に映る
明日の時代を担う若いリーダーたちを理解できなくなる
この世代間、意識•価値観ギャップが
ますます広がりつつあるのは
誠に悲しくも悔しい…
私より若い人であれば余計に残念
かく言う私自身、ややもすると
「一丁上がり」の罠、落とし穴に
はまらないためにも
新進気鋭の若手リーダーたちの言動に関心を持ち
少しハードルが高いと思いつつも
積極的にその環境に身を置き
シニア世代との共通点、普遍性を見つけることに腐心している
私自身がシニアもシニア…
その真っ只中にあって
ドリームキラーならぬ
価値観キラーの大勢力に直面する日々だ
それにしても
「キラー」とは何て「否定的」な言葉だろうか…
「戦う」のではなく
「キラー」からは
「逃げるが勝ち」
がベターかもしれない
FB友人でもあるSS氏の投稿があった…
「ついてる」斎藤一人さんの『二千年たってもいい話』を参考したという…
時間をかけ相手を説得しようとしても
たとえキリスト、お釈迦様でも無理なこと
無駄な人もいるので
その場をありがとうの言葉を残して
静かに立ち去るのが良い…
この盛和塾を通して得た教訓の中にも通じる部分があったのでご紹介したい
++++
人は
戦うか? 逃げるか?
という
闘争 or 逃走
という本能を持っています
社会的に
・「戦う」というのはカッコいい。勇敢
・「逃げる」というのはカッコ悪い。臆病
というイメージがあります
しかし、現実的に「戦う」と「逃げる」は
時と場合によって
使い分けてこそ
上手くいきます
つまり
・必ずしも戦うだけが合理的ではなく
・時には逃げることで上手くいくこともある
ということです。
では
「どういう場合は逃げた方がいいのでしょうか?」
簡単です
否定からは逃げた方が上手くいく
論理には「肯定」と「否定」の両方があります
しかし
「否定」の方が強い
なぜなら
・肯定を証明するには、ありとあらゆる懸念材料を全て解決しておかなければならず
・否定を証明するには、たった1つの懸念材料さえあれば簡単に証明できてしまうからです
たとえば
・「やる気」を出す理由を説明するのは難しい
・「やる気」が出ない理由を説明する方が簡単
・「出来る」理由を説明するのは難しい
・「出来ない」理由を説明する方が簡単
・「上手くいく理由」を説明するのは難しい
・「上手くいかない理由」を説明する方が簡単
だから
「やる気」というのは
少しずつ・少しずつしか
高まっていかない
しかし「やる気」を失うのは一瞬
誰でも簡単に
しかも、どこまでも・どこまでも下がり続けてしまう
物事を上手くいかせるには
膨大な時間を地道にコツコツ
積み上げ続けていくしかないのに対して
破壊するのは簡単
一瞬で壊せる
論理上
「肯定」は難しい
完全無欠など存在しないから
「否定」は簡単
たった1つでも欠点を見つければ良いだけだから
残念ながら
何に対しても「否定」「否定」「否定」、、、は
論理的に最強
だから
「肯定的な人」と「否定的な人」が議論すれば
否定的な人が必ず勝ちます
たとえば、
元々は「やる気」があった人が、下手な正義感を出して
「やる気」がない人の「やる気」を出させようとすると
必ず 返り討ちにあいます
「やる気」がなかった人が1人から2人に増えるだけ
否定的な思考というのは
エネルギーのブラックホール
のような状態になっているので
近づくと持っているエネルギーを
全て吸い取られてしまうのです
だから
逃げる
「否定的な状態」を
言葉で
「肯定的な状態」
にすることはできません
「否定的な状態」からは逃げる
他者が否定的なのは
他者の都合
他者責任
人が取らなければならないのは、
自分の責任
「相手が可哀想、、、」
「だから私が何とかしてあげたい、、、」
というのは幻想としては綺麗ですが
現実的ではありません
否定的は何ともならない
相手が否定的な状態になっているのを
解決できるのは言葉ではありません
時間だけ
大切なのは
・他者が「やる気」がないことではなく
 自分に「やる気」があるか・どうか
・他者が「出来ない」と思っていることではなく、
 自分が「出来る」と思っているか・どうか、
・他者が「上手くいかない」と思っていることではなく、
 自分が「上手く行く」と思っているか・どうか。
だから
否定的な環境で議論するは建設的ではありません
話し合っても時間の無駄
だから
戦うのではなく
逃げる
が正解
自分の心が下がりそうな時に出来るだけ下げない
下降傾向は1秒でも早く断ち切る
考え続けない
別の行動で環境と気分を変える
そして
1秒でも長く
肯定的な状態を維持するようにする
そのためには簡単
出来るだけ
肯定的な環境・人間関係に身を置く時間を長くすること
人は環境・人間関係の影響を受けながら生きています
他者の気質や考え方を変えることは出来ません
しかし
どの環境・人間関係に身を置くかは選べます
逃げる
というのは格好は悪いです
臆病に見えたり
無責任に思えたりするかもしれません
しかし
現実的には
逃げることで上手く行く場合もあります
++++
顧みれば…
私が親の立場で
これまで言って来たことして来たこと
強い肯定的、前向き、夢のようなことを懸命に語ってはきたつもりではあるが
「まだまだ…」
「上を目指せよ」と
満足しない自分が常にいた
どれほど否定的な言葉を日々発し続けてきたか
はかり知れない
当時
肯定的な言葉と否定的な言葉
それぞれの持つ「エネルギーの大きな差」を知らなかった
想像するに冷や汗が出る
そして今…
このエネルギー差を熟知した
メディアをコントロールする者は
利権、金権構造の塊
「安心・安全」の報道では視聴率は稼げない
もあり
人々の不安・恐怖を煽り操り続けることを優先
報道しない自由を行使する
世論誘導が常套化している
なので
真偽、玉石、正解・不正解…
渦巻く情報社会にあって
受け身ではなく自らが積極的に
「自分にとっての」
より確かな
「玉」「解」を求めて
自分を高める努力を続ける
ことで身を守る必要がある
私のいささかリスクをとってきた
これまでの人生
大失敗、大恥、大迷惑、大痛手…
取り戻せるべくもないが
過去と他人は変えられない
変えられるのは
今「これから」と「自分」だけ
の言葉を支えに
そして
リスク&リワードを
今でも繰り返させてもらえている
日々に感謝しつつ
稲盛哲学の真髄…人生の目的
生まれてきた時の「魂」を
人生の幕を閉じる時には
少しでも高める
そのためにも
心身の健康な現役にこだわり
それを楽しめるべく続けたい