「経営とは営みの経(みち) – いのちを営む経(みち)」&「初心の鶴丸」と「原点回帰」
日本航空の会社更生法の適用申請
からちょうど一年…
かつて国内外で親しまれた
「鶴丸」と呼ばれるロゴマークも復活。
稲盛さんが、JAL再建のため会長職を引き受け、
V字回復の兆しが見えはじめた頃…
今回、予ねてから
私自身が気になっていた
ことではありますが、
「人は何のために生きるのか」
「心を高める、経営を伸ばす」
これは、経営者のみならず、
万人に等しく問われ、
学び続ける必要があるのではないかと…
「いのちの森文化財団」の
塩沢理事長夫婦 から、
新たな気づき & 深掘り
のチャンスをいただきました。
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生から死は誰もが平等に与えられたものです。
お金持ちも貧乏人も、
無学の人も大学を出て教養のある人も
すべての人に平等に死は訪れます。
すべての人々が思っていることの究極は、
愛したいし愛されたい
ということです。
病気になっても、死を間近に控えた人でも、
どんな人でも、愛したいし愛されたいのです。
そういう関係性が
人と人との間で作られることによって、
満たされて亡くなっていくことができると思うのです。
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ある施設の院長さんが、
「その人の死に方をみればその人の生き方がわかる」
とおっしゃっていました。
枕元の通帳ばかりを開いているお年寄りもいれば、
その通帳の残高を確認するために来ている家族もいる。
だからこそ、
塾長は哲学をつくってくださり、
勉強をして深まりなさい、
高まりなさいとおっしゃってくれている
のだと思います。
実は、私たち夫婦は2人とも
癌を患ったことがあるのです。
思い返して、
なぜ癌になったのかといえば、
食べ物の大事さを さらに深く
私たちに気づかせるためだったのでは、
と思っています。
その時にもう一押ししてくれたのが
フィロソフィーです。
癌になった自分の心のあり方を見てみよう、
何かが違っていたのではないか、
何かが足りなかったのではないかと、
お互いに深く考えました。
稲盛哲学はつくづく万人のための哲学だ と
この時に思ったものでした。
ここにも 癌患者さんがいらっしゃいますが、
実際に癌になったときにどういう心の状態になるのかは、
自分も癌になってみなければわからないわけです。
ですから、
より深く人生を知るために
重度の娘を与えられ、
2人とも癌にもかかって
奥深い奥義を知るために、
私たちは試されのたのかな
と思っています。
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経営者があの世の話をしたり、
前世や来世の話をしたりするのは
筋違いだろうという人たちが今でも結構いると思います。
しかし、経営者も人間です。
癌になる経営者もたくさんいます。
死んだら自分はどうなるのだろうと誰しも思います。
例えば、癌の患者さんたちも、
死んだら終わりなのだと思うのか、
死ぬ寸前まで自分を高めていくというか。
少しでもきれいな魂になって
旅立っていきたいと思うのか。
それが死に方にもあらわれてくると思います。
ですから、
フィロソフィーは人間の持っている
不安感、恐れ、苦しさ、悲しさ、
そういう思いを越えていく意味も持っていると思うのです。
究極、人間は人生というものを通してしか、
本当の学びはできないのです。
ですから、
塾長は「仕事を通してしっかりとやりなさい」
と説かれているのです。
それは、仕事だけをしていても駄目で、
この仕事を通してというところに
六波羅蜜の教えを説きながら、
人間として正しい生き方をしなさい
という意味が込められていると思います。
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「経営」と言えば、
経営者だけのものだと思いがちだけれども、
経営者ではなくても、
われわれは日々経営をしているのです。
自分のことも経営で、
家庭のことも家経営です。
人生そのものが経営なのです。
私は経営とは営みの経(みち)、
そして何を営むかと言えば、
結局のところ
「いのちを営む経(みち)」
だと思っています。
フィロソフィーは
経営者のためだけにあるのではなく、
主婦のためでもあり、
お医者さんのためでもあり、
家庭での人生哲学でもあり、
万人全てに共通するものだと思います。
私たちも究極は、
塾長が目指しているようなことを、
日々の営みを通しながら
伝えていくことができればいいと思っています。
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コロナは、「たまたま」
私たちの生き方に対し、
強制的に軌道修正を要求しているかのように見えますが、
といった課題は
人類誕生以来、数千年に渡って問われ続けてきたこと…
私達は
何か勘違い、
計算違い
をしてはいなかっただろうか…?
「これまで…」 とか、
「どうせ…」 でよいはずもなく、
の要求に対する
自分なりの解を考え、
求め続けていきたいと思います。