大企業の海外展開に合わせて共に海外に進出し、
成功した中小企業もありますが、
共に進出することも独自で進出することもできずに
徐々にシュリンクしていく日本国内の中には
まだまだ実力があり魅了のあるものづくり企業が
たくさん残っています。
こういった企業にはぜひ国内だけでなく
海外展開を見据えた大きな視野と、
海外で成功した企業の事例から
積極的に学んで欲しいものです。
今回はその成功事例として明治41年に創業した
貝印株式会社を紹介したいと思います。
貝印は明治41年に岐阜県関市にて初代遠藤斉治朗が創業、
ポケットナイフを作り始めたところからスタートします。
そして昭和7年にはその優れた刃物づくりの技術を生かして、
国内で初めて替え刃のカミソリの生産を始めます。
ちなみに貝印のロゴマークであるKAIマークは
ウオークマンの生みの親とも言われる黒木靖夫さんが
デザインしたと言われています。
昭和30年代に入ってからは貿易部を設立し、
すでにこの頃から海外向けに刃物を生産し、輸出を始めています。
そして1977年にはアメリカの現地法人を
1978年には香港の現地法人を立ち上げています。
しかし、貝印が本当に海外に認められるようになったのは
1980年に ドイツ・ゾーリンゲン市に現地法人を立ち上げてからです。
かつて欧米ではドイツの包丁が主流でした。
そのドイツで最も刃物作りで有名なゾーリンゲン市に
現地法人を設立したことは、貝印が刃物作りに揺るぎない
自信を持っていただけではなく、積極的に海外の企業から
学ぶ謙虚な姿勢があったからに他なりません。
その後、貝印は様々な思考を重ね、
海外での代表的ブランド「旬(しゅん)」の開発に成功。
この日本刀のような切れ味が評ばを呼び
今や欧米を中心に400万丁を売る大ヒット商品となっています。
その後、日本においても大ヒット商品「関孫六(せきまごろく)」
によって国内シェアナンバーワンとなり、
名実と共に世界に名だたる包丁メーカーとなったのです。
この岐阜の小さな町でポケットナイフを作っていた
小さな会社が世界的な企業に成長したのは
何と言っても先見の目を持ち、臆することなく
積極的に海外展開を行ったからに他なりません。
今や日本の中小企業のものづくりに対する情熱や
その底力は海外にもよく知られており、
海外のあらゆるものづくりに携わる人たちが
小さな日本のものづくり工場に視察に訪れています。
貝印の成功は夢のような話ではありません。
東京オリンピック2020を目前に控え、
さらに日本が注目されている今だからこそ
国内だけではなく、海外に向けて積極的な
企業活動を行うべきであり日本を活性化させる最大のチャンスなのです。