岩鋳は、明治35年創業の南部鉄器の製造会社です。

本社は岩手県盛岡市にあり、1960年代から海外展開に取り組んでいます。

 

南部鉄器のルーツは、盛岡市と奥州市にあります。

岩鋳の盛岡市の南部鉄器は、17世紀に南部藩が京都から職人を招いたことで始まりました。

奥州市の南部鉄器は、平安時代の藤原清衡が、現在の滋賀県から職人を招いたのが始まりです。

 

岩鋳は創業当初、南部鉄器の鉄瓶だけを製造していました。

1960年代に灰皿やすき焼き鍋など、鉄瓶以外の新商品を開発するようになります。

 

鉄瓶だけを作っていたのでは、遠い将来も成長し続けるような、躍進的な発展はないと考えたからです。

 

1968年には、観光客に南部鉄器の製造工場を開放。

観光客は工場見学できて、近隣のレストランで食事を楽しんだり、おみやげ店で南部鉄器の購入もできます。

岩鋳の海外展開の取り組みが始まったのも、1960年代でした。

専務が南部鉄器の製品を持って、船で海外に渡り、約1ヶ月ヨーロッパで販売しました。

最初の売上げ数はわずかだったと言われますが、ヨーロッパの南部鉄器ファンは確実に増加。

1996年には、フランスの紅茶専門店から岩鋳に急須の注文が入りました。

紅茶専門店の注文は、黒の急須ではなく、多彩なパステルカラーで着色した急須。

南部鉄器の黒も着色ですが、カラーの着色の素材が決まるまでに3年かかりました。

急須は食品に使うので、着色の素材が限られます。

「鋳肌」と呼ばれる南部鉄器の質感も活かさなければなりません。

岩鋳はウレタン樹脂と食品用顔料で着色したパステルカラーの急須を開発し、紅茶専門店に納品しました。

パステルカラーの急須はヨーロッパで大ヒット、アメリカやアジアにも人気が拡大します。

 

南部鉄器の海外展開が成功した理由は、色やデザインが変わるだけで、製法や品質を変えないこと。

形が変わるだけで品質が変わらない製品は、どんなに姿を変えても、安心して購入できます。

岩鋳の南部鉄器は、ファンの需要に臨機応変に応じますが、海外での製造は行わず、製造工程も変更しません。

長期使用のメンテナンスも行っているので、一度買った急須や鉄瓶を長く使えるようになっています。

1960年代に、船によって海外展開した南部鉄器は、カラフルな急須に姿を変えて、

日本に逆輸入されるようになりました。当時と同じ品質を維持した南部鉄器が、

岩鋳のインターネットショッピングで購入できる時代になっています。