たとえば日本経済。長い期間に渡って低迷あるいは混迷が続いています。 最近になって、ようやく長いトンネルから脱出するための光が見えてきたとも言われていますが、実際はどうでしょう?

過去の栄光ともいうべき「戦後日本」の好景気を思考の背景とした経済の回復や成長といったある種の柔軟性に欠いた「呪縛」から逃れられない限り、本当の意味での日本の再興はあり得ないと思うのです。

現在、政治やビジネスを含めたあらゆる分野において、多くの人々が目指している方向性は、あくまでも「かつての栄光」の復権です。 しかし、「復権」という意識は、いささか過去を引きずりすぎる嫌いがあります。未来志向がすべてとは言いませんが、脳内を支配する従来通りの「固定観念」の一新こそがまず重要なのではないでしょうか。

日本が世界に誇るコンテンツとして、マンガやアニメといったものを掲げる人が今も少なくありません。 いわゆる「クールジャパン」という皆さんご存知のあれですね。しかし、実際のところは、もはやそれらも世界に向けた影響力を失いつつあります。というのも、コミック分野におけるメジャーシーンの衰退が甚だしく、新たなる魅力あるソフトがそこに存在しないからです。 「クールジャパン」というカテゴリーからは少し離れますが、かつて国内で隆盛を誇った音楽シーンにしても、現在の状況は最悪です。 ネガティブな言い方として受け取られてしまうかも知れませんが、海外にアピールすることはおろか、日本人にさえ「聴きたい」と思わせるようなものは激減しています。

けれども日本人の創造性が枯渇してしまったのかというと、実はそうではありません。 いわゆる「メジャーシーン」からは遠い場所で活動を続ける才人たちは数多く存在しています。 彼らの多くは従来の「固定観念」に捉われることなく、新たな道を模索しつつ、自身の能力を各地から発信しています。 ネットを活用している者もいれば、地場に密着するように黙々とスキルを磨く者もいます。 そういった「新たな波」に共通して言えることは、いわゆる従来型の「メジャー」な表舞台への志向が希薄ということです。 ともすれば戦後から変化に乏しい現状の日本社会を支配する空気感に、ある種の窮屈さを感じているのかも知れません。

このようなマイノリティー的な感覚の中にこそ、真の意味で日本に活気を与える「ヒント」が隠されているのではないでしょうか。 また、彼らたちのような従来型の表舞台からは見えない新鮮な「才能」の結集こそが、世界と日本を新たな視点で結びつける原動力として機能するのではないでしょうか。

「異端者」を排除するのは簡単です。放置するのも無視するも簡単です。 しかし、「異端」を「異端」としてでしか認識できないことほど愚かしい事態もまたないと思うのです。

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