私は、東京でサラリーマンをしていましたが、30歳のときに脱サラして宮城県でイチゴ農家になりました。
イチゴ農家になってから5年後の2011年3月11日の大津波で私のイチゴハウスは流れてしまいました。
再建もできず、現在は、実家の近畿で農業とは関係のない仕事で生計を立てています。しかし、どこか張り合いがありません。 イチゴ農家への未練が捨て切れていないからです。 チャンスがあれば、どこかでまたイチゴを作りたいと思っています。
しかし、被災地にはもう戻る気持ちはありません。 今の被災地は復興特需で活気がありますが、それも長くは続きませんし、放射能問題が解決するとは思えないからです。 私のような思いを持っている人は、かなりの数いると思います。
また、農業に興味関心を持っている若者も増えてきています。
さらに、新潟のコシヒカリ、青森のリンゴや鳥取のナシ、静岡のメロン、神戸牛、福岡のあまおうなど日本で生産された農産物は海外で高い評価を得ており、日本の農業が優れた人材と技術を持っていることは海外で認知されています。
先日、日本食文化がユネスコ無形文化遺産に登録されたことも、今後ますます日本の食材が注目される機会になることは間違いないでしょう。
この出来事は、海外への農業者の移住促進を促す事業に取り組む、良い機会にもなると思い、この提言を思いつきました。
しかしただ1つ、海外に移住する農業者には、必要な条件があります。
それは、「経営能力のある農業者であること」です。 言い換えると「自分の作ったものは、自分で売ってきた人」になります。
つまり、農協や商社やバイヤーの言う通りに農作物を作っていた生産者では資格がないということです。
まずは、言葉も文化も違う土地で裸一貫で農業に取り組みたい人を募り、どのような人材が集まるか探ることから始めてみることを提案します。