投稿日: 2020年08月19日

日本は記録的な暑さ、
高知県四万十市中村では、39.8度C
観測史上1位の暑さを記録したとの事。
米国でもデスバレーでは 54.4度C を
記録したと伝えられています。

ここシカゴは、おかげさまで年間を通じても、
現時点では、比較的過ごしやすい気温、気象環境だと思います。

日中は日差しが強いと感じることがありますが、
いずれにせよ、
今は特にあまり出歩く事はなので関係ないです。

ソーシャルディスタンス、ステイホーム、マスク…。
まだまだ先が見えない…
おそらくあと1年や2年は
こんな感じの生活パターンが続くものと
覚悟しておいた方が良いかもしれません。

「きっと大丈夫」と希望を持って
明るく乗り切りましょう!

人間には適応力がありますから、
以前は「ひどい」
と感じていたものでも、だんだん(見)慣れてきて、

「それもアリだよね」

と思えてくるのはおもしろいものです。

ビジネス、仕事も同じ。
アリ方も常識も美意識も
変化していくものなのでしょう。

適性ではなく「適応」していく力です。

原理・原則を大事にして、
いかに時代の変化に適応するかです。

個が発信する場は、爆発的に増えているので、
プライベート、ビジネスにかかわらず…

このようにして(今、こうして書いている)
私自身も、時間の許す限り、
メディアやプラットフォーム、ツールを
通じて、または、活用して

ベンチャー・スピリットを
維持していきたいと思っています。

+++++
ところで…
先日8月15日は、終戦から75年が経ちました。
75…
「人生100年時代」では、
75歳まで働くことが想定されています。

そして、この75歳と言えば…
元盛和塾生・小林武彦さん(東京 医療法人愛生館 理事長)
の言葉が記憶に残っています。

「人は75歳を過ぎれば体調が急激に変化します。
その後期高齢者の人たちが豊かな人生を全うできるよう、
私に残された時間が
”少しでも役にたつ”
のであれば 幸いだと思っています。」

この75…それまでには
「まだまだ」という思いで
まだはっきりしない…

チャレンジしたいこと
経験してみたいこと
1度しかない人生…

そして…この
”役にたつこと…?”

を考えながら、
一方で…
親、先祖、先人に思いを馳せていた時、

「明治150年、真の日本の姿」

という動画に出会いました。

そして、
私自身の体感覚、直感、
ビジネス体験を通じて得た
認識に心地よくフィットするものがあり、

それはまるで
点と点が 線や面 となって
深い感動を覚えました。

随所で涙腺が緩みました。

江戸、明治、大正、昭和、平成…
そして「令和」。

150年の歴史が
6本の動画 にまとめてありました。

これまで私は
「何を学んできたのか…」と、同時に、

自分の子供達に
「何を伝え、どのように語ってきたのだろう…」と…。

解説の昭和31年生まれの
「小名木善行」さんという人。

知らない人でしたが、
とても分かりやすく
「世界の中の日本」
を語ってくれています。

一年前に制作されたようですが
「主語が」日本ということで、
私たち日本人にとって、
誇りに思える、
自信を蘇らせてくれる、
より前向きに積極的に歩んでいける…

そんな
ストーリーにまとめられています。

グローバル、インターネットの現代社会にあって、
まして「現在進行形」「同時多発」で起きている
米中戦争、日米・日中関係、
さらには韓国や台湾との付き合い方、向き合い方

を、考えるに当たって、
何を基準に、
あるいは
座標軸に
物事を考え、判断すべきなのか…。

今の地上波メディアによる、
国際政治や経済・社会は、
刹那的な偏向、切り取り、恣意的的報道では、

どうなってるのか、
さっぱり訳が分からない。
惑うばかり…

答え…
少なくとも「思考のヒント」
がそこに見つかった!

手塚治虫は、晩年に描いた「火の鳥」の中で、
「時代は回っている」
と語っているそうです。

過去の歴史から
今を観る。明日を見る…

今まさに、
(大きな勘違い、過ちを犯していた…と思われる)

一方的な歴史認識
とりわけ自虐史観からの脱却と、
本来の日本人魂・DNAの自信回復 と、
その不勉強を猛省するところから始めたいと思う。

私達の世代、
戦中・戦後生まれの年代の人たちは、
敗戦国であるが故の「米国主導の日本国憲法」
を未だに後生大事にしている…

何故⁇
「そうせよ」
「そのほうがいいよ」
「考えなくていい!」

の環境で育って来たから?
「戦勝国にとって」

不都合な「事実」「考え方」を闇に葬る…
そんな環境と条件。

子供の頃から、
「政治やお金、宗教については語るな!」

でも…
米国では、決してあり得ない事!

今「普通に」冷静に考えれば、
「そんなバカな!」と思われる話しが、
今の教育制度やマスゴミによって
「洗脳」されてきたと言わざるを得ない。

染み付いたそんな常識・認識が、
成人となった多くの日本人に存在するため、

アジア諸国の人たちに
「昔の日本はどこへ行ったの?」と言われるありさま!

そのことすら気づかず 思考停止、
平和ボケの「ゆで蛙」状態。
無感覚・無関心になってしまったのではないだろうか。

ほとんどの政治家は、そんな私たちの「票」目当て。
「票」であって、
国のことを思って…
ではなく、まして
「バカされている」
私たち国民 のためでもない…
と感じる。

「何かあったときにどうする?」

自然災害、国防…
「それは無い」
という前提でしか物事を考えられない?

誰も責任取らない?
あったら、あった時?
考えることが面倒なのか?
考えることが嫌なのか?

或いは
もはや考えることができないのか?
それとも…あきらめか?

それがとても悔しい!
そんな中での、この動画。
長年教育を受け、
学んできた常識や認識とどれだけ乖離があるのだろうか…。

何が事実で、何が事実でないのか、
自分で調べ、自分の頭で考える習慣を取り戻す!

そんなきっかけになったらいいな。
その上で「世界の中の日本」を考える。

それを若い人とシェアしつつ、
更に後世に伝える…。

私たち日本人、
とりわけ若い世代に、
誇りと自信と希望を持って頂くには、

このような 日本人魂、DNA、ストーリー、事実、

その考察、検証について
もっともっと語られる環境を作るべきだと思います。

マスゴミ…
と呼ばれるテレビや新聞の地上波メディアは、
油断していると
「あらぬ」方向に、
日々誘導していきます。

長年米国に住んでいるせいでしょうか…
これまで以上に、日本人の誇りと文化・伝統、
イイものを
守りたい…残したい、伝えたい。

そのために、私は何ができるのだろうか…
少しでも、何らかの形で
役立ってみたい、
貢献したい、

と思う気持ちを込めて
下記共有させて頂きます。

動画は6本。少し長いので、
「2/6 – 6/6」は後日と言うことで…
「1/6 」のみ 今回はご紹介します。
キーワード、要点を書き出してみました。

歴史の教科書や本で
習った内容ではない…?
あるいは
かけ離れているかも知れません。

自分で検証・確認し、
自分の頭をトレーニングする気持ちで
読み、視聴して頂ければと思います。

########
「明治150年 真の日本の姿・第一話」
江戸・明治・大正・昭和・平成そして令和──

日本の中に誇れるものはなかったのか、
日本人としての軸はぶれていなかったか。

これからの日本の発展のため、
明治維新から150年を迎えた今、
本当の日本の姿を紐解きます。

インタビュー:小名木善行氏

自分の国を誇る気持ちが 安定した社会を生む。
日本に 誇れるものはなかったのだろうか。
日本人としての軸はぶれていなかったか。
本当の日本の姿を紐解く

振り返ることによって、これから日本はどうしていくのか?
日本人はどういうことを目指していくべきか?
考える手がかりになればいい。

江戸時代までの日本は
ホントに遅れていた??

ところが、
江戸時代の日本がなければ
明治時代は存在しない。
江戸時代の日本 がなければ、
おそらく今の日本 はない。

実は、
江戸時代はものすごく進んでいでいた。
もしかしたら、江戸時代は現在の日本人よりも
もっと進んでいたかもしれない。

江戸時代の識字率は95%以上 (男女とも)
現代日本人は識字率100%だと思われる方も多いと思いますが、
江戸時代の文字というのは、今のような活字ではない。

筆字で 行書体・草書体。
草書体 で書いた文字で 識字率95%以上!

これを考えると、江戸時代の文化は
今よりもっともっと進んでいた部分もあったんではないか?

江戸時代 (1603年 – 1868年)
● 関孝和(せきこいわ)
江戸時代中期の数学者
1674年(延宝2年)
発微算法を著し
点竄術(てんざんじゅつ)を発明…

筆算による代数計算法
1681年頃世界初、
正130,072角形を使って
円周率近似値小数第11位まで算出
1712年に
関孝和が1年前に発表
ベルヌーイ数 =
連続する整数のべき乗和を定式化する際の展開係数
について書かれた括要算法
(ヤコブ・ベルヌーイという人が1713年に発表)

● 林羅山 (1583ー1657年)
江戸時代初期の儒学者
江戸昌平坂学問所を開く…東京大学の前身
湯島聖堂
朱子学、陽明学、儒教

林羅山が説いた儒教は
中国のコピーではない。
日本の文化と中国の儒教を組み合わせた
日本にとって最も必要な学問を研究・開発しようとした。
そこには日本人としての智慧がある。
徳川家康 が 林羅山を引き上げた…
数多い儒学者の中で林、羅山だけがどこまでも
「日本のために」を貫いた…その切り口を崩さなかった。

● 浅田宗伯 (1815 – 1894)
幕末の漢方医…
浅田飴の元々の開発者

当時の日本は鎖国をしていたが、
長崎の出島で外国との交易を行っていた。
そのため、日本の科学技術は世界にも知られていた。
名医として伝えられた。

駐日フランス帝国公使、レオン・ラッシュの、
とても悩んでいた腰痛を直した。1週間で完治させた。
彼は喜びの報告を手紙に書いた。
フランスの新聞に掲載される。
そして、ヨーロッパ全土にも
浅田宗伯の名前が伝えられるようになった。
ナポレオンも驚き、
浅田宗伯に時計2個、絨毯3巻を贈った。

● マイセン(ドイツ) のスープ皿…
東洋の白い磁器、皿、

なんとしても作りたい!
伊万里焼…
質の良い日本製の磁器と同じものを
ドイツで作ることができれば
ヨーロッパに作れば大儲けすることができないか、
と、やっと開発することができた。

もともと江戸時代には高い文化レベルがあった。
そこに、日本とヨーロッパ の文化が出会った。

● 1853年 (嘉永6年) 黒船来航
ペリーが浦賀にやってきた…

明治という新しい時代に向かうことになった。
ペリーが来る前に外国の船は来ていた。
ポルトガル以外の国も…
毎年のように、あちこちからやってきていた。
江戸幕府は、すべて追い返していた。

ところが、
マシュー・ペリー提督
は、なぜ追い返されなかったのか?
ペリーが来たのは、
アメリカ側の事情があった。

アメリカ…
南部…綿花の農場、綿花の栽培。
黒人の奴隷を使いながら大農場を持っていた。
栽培した綿花をことごとくイギリスに送っていた。

産業革命イギリスの綿織物は発達していた。
外国に輸出すると、笑いが止まらないくらい儲かっていた。
南部11州は経済的にも繁栄していた。

が、一方、
北部の方は、産業らしい産業がなかった。
移民経済…
ヨーロッパの人たちが移民でやってきた。
移民する位だからお金を持ってやってきた。

ただ、持ってきたそのお金をぐるぐる回す位で
たいした産業はなかった。
その中では、鯨を取る捕鯨という産業。

油が取れる…その鯨油でロウソクを作る。
ロウソクはヨーロッパで大量に消費された
大西洋の鯨を獲り尽くしてしまったので…

そこで
太平洋に進出。
日米間で国交がなければ、休息も補給も受けられない。
日本で補給を受けたい!

ペリーは日本を開国しなければならなかった。
ところが、日本は他国の船を全て追い払っていた。
そこでペリーは考えた…世界最高の大砲
ペクサン砲(カノン砲)を
船に搭載していこう!
正確に狙える。

江戸幕府は大変慌てた。
その情報をフェリーの出航前からつかんでいた。
何をするかもわかっていた
ペリーの蒸気船がどういう武装をしているか。

「事情はわかったから、一旦去ってほしい、
一年間の猶予をもらいたい」
何とか、1回目の交渉の時は去ってくれた。
幕府は、東京品川にお台場を作った。
次にペリーの来るときの為に
砲台として作った。

非常に潮の流れが激しい場所…
全部手作業で、海の中に島!
人工の島を半年で3つ作った。
ペリーの艦隊がやってきたときに
十字砲火を浴びせることができる!
市民の安全を守ろうとした。

しかしながら、結果的には…
嘉永7年3月3日(1854年3月31日)
日米和親条約 が締結される。

そして、
日本でアメリカの船が立ち寄り、
休むことができるようになった。

ところが、問題が起こった。
ペリーの後に公使としてやってきた
タウンゼント・ハリス
日米和親条約の細則 を定めた。

細則の中で…
金の両替の相場を固定相場にする。
もともと日本は金の産出量が豊富だった

人類が誕生してから世界の金の産出量は
オリンピックプールに換算して3杯分だった。
そのうちの1杯分が日本産だった。

幕末まではまさに
黄金の国 ジパング だった。
一般の人たちでも広く使っていた通貨、小判を使用。

旅をするときに襟に小判を1枚縫い込んでおくという習慣もあった。
途中で何か病気になった時とか、
もしもの時に使えるように…当時の常識だった。

ヨーロッパにも金貨はあったが、
金貨を目にする人はごく限られた一部。
一般の人が金を目に触れる機会はなかった。

日本では一般の庶民が普通に金貨を身に付けていた…
ものすごい違い。

ところが、
日本の金が香港を経由して
アメリカへ大量に流出したため、不足するようになった。

やむなく幕府が実施したのが
万延小判。
純金の含有量を4分の1に削減
慶長小判 = 1両 = 万延小判
経済が大混乱した。

江戸幕府は国中の信用を失った。
それまで、幕府の権威はとても強かった。

なぜか…?
「武士」は責任をきちっと守る人。
武士は権力があるが…一方で
武士が人を切ったら
責任をとって自ら腹を切らなければならない。

武士は二本の刀を持っている。
大小二本差しと言う。
長い刀は不正があったときに相手を切り伏せる。
でも、相手を切り伏せた責任をとって
短い刀で自分の腹を切る。
「責任を取る」という概念があった。

そして、

お殿様が責任を取るということになると、
藩が「お取り潰し」になる。

なので、責任を取らなくても済むように
しっかり世の中を回していこうという概念が発達していた。

そんな時、この金貨の値打ちが4分の1になった…
「幕府は責任を果たしていないではないか!」

幕府の権威が失墜して歴史も動いていった。
この幕府じゃダメだ。
新しい体制に作り変えねば…。

一方、
日本から流出した金が
影響したアメリカ…

アメリカ
北部は比較的貧しかった。
南部11州は比較的裕福。
綿花で財産を作りお金持ち。

何故、貧乏な連中にまで自分たちが面倒を見なくてはいけないのか、と、
南部11州がアメリカから独立しようとする。

→ 南北戦争

南北戦争を戦うのに、南部11州は
ヨーロッパに外債を発行。
あの貧乏だったはずの 北軍が、
ちゃんとした軍備軍服、
を揃えて銃も最新式、

武装…最新式の大砲。
軍事力で 南部11州を圧倒。
北軍が 圧倒的な兵力で勝利。

南部11州が発行した外債に付いては、
北軍の
アメリカ合衆国第16代大統領
エイブラハム・リンカーン は、
南部を取り込むために肩代わりして払った。

北軍は南軍と戦う際に、
借金をしていなかった。
そのお金はクジラ…?

ではなく、
日本から「巻き上げた」金 によるものだった。

南北戦争に勝利した北軍の資金は日本からの「金」!

さらに…
南軍が持っていた銃、軍服などが大量に余った。

それを日本に売ってしまおう!
日本はまだまだ金があるだろう!
とは言え、
日本には武器はある。

そこで…
戦争を仕掛ける…?
倒幕側(薩長)には イギリス経由で
幕府側には フランス経由で
南軍の持っていた武器を売ることができる!

日本は買った。
1868年1月27日から1月31日
鳥羽伏見の戦い を初戦として
1868-1869年 戊辰戦争…

両軍とも同じ軍服を着ている。
装備も同じ装備
元々アメリカ南軍の使っていたもの。

国際政治…
通常、「自分の国が儲かれば良い」
という論理で動く。

国際社会の中において、
お互いがお互いのためを思って行動する…?

珍しい、そんなに無い。
例外的な日本人…
日本人は「お互いのため」を思って、
互いの利益になるように、
を考え、行動する。

それが「当たり前」
世界でも通用する、と考えがちだが、
一方的に利益が流れるような形になったり、

或いは、
やらなくてもいいような戦争を仕掛けられてしまったり…
ということがあるということを
学んで頂きたい。

日本の歴史は、
国内だけ見ていてもわからない。
当時の国際情勢の中の日本を見ないといけない。

現代の日本もまさに同じ。
日本単独で考えても、多分、よくわからない。
国際関係の中にあって、何をすれば良いか?

日本が世界の中で、
より良い地位を占めていくにはどうしたらいいのか?
日本人も幸せになるけれども、

同時に、
世界中の人たちも幸せになっていくには
どうしたらいいか?
そういう切り口で、考えなければならない。

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