春の選抜高校野球大会の組み合わせが決まりました。
母校の鳥取県、米子東高校は、
2日目、第3試合で
北海道代表の札幌大谷高校と
対戦することになりました!
その札幌大谷高校は去年秋の神宮大会の優勝校とのこと…。
私もシカゴから甲子園まで駆けつけます。
こんな大きな「奇跡」イベントがない限り、これまで無かった…
そして今後もないだろう「運命的」とも言うべき旧友たちと再会、又、未だ見ぬ「知人」達とも出会えそうです。
同じ校旗、校歌の下、彼らと共に、
スリリングな時間と場、息づかいをシェアできそうです。
子供のココロに舞い戻り、幸せを感じます。
「しあわせ」は歩いてこない、
だから歩いてゆくんだね〜
は、水前寺清子の
三百六十五歩 の
何とも躍動感あふれる歌ですが、
まるで田舎育ちの私や選手たち、にとっての
ステキな応援歌のよう…。
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昨日触れた盛和塾の機関誌に
約20年前の中坊弁護士のエピソードやメッセージが色々紹介されていました。当時、中坊さんは70歳…
他人事と思っていたのに、
気がつけば、私もその歳に近づいてきています。
全く実感がありませんが…。
紹介のあった歌詞は
私も、遠い昔、いつかどこかでよく耳にしていました。
「山のあなた」というカ-ル・ブツセの詩…。
山のあなたの空遠く
幸(さいわい)住むと人のいふ。
ああわれ人と尋(と)めゆきて、
涙さしぐみかへり来ぬ 。
山のあなたのなほ遠く
「 幸 」住むと人のいふ。
あれだけの成功、偉業を
成し遂げた稲盛さんにして、
「立派な会社をつくって有名になり、お金持ちになった」と思われるだろうと思います。しかし、そういうことが人の 一生のなかでいかほどの価値があるのでしょうか…
「そのことに何の意味があったのだろう」と…。
知らず知らずのうちに
日々の生活や仕事の中に、
私たち、それぞれの「しあわせ」
を置き忘れて来たのでは?
お金、地位、名誉といった
目に見えるうわべ、表面、外側の要因にこだわり、ゆだねすぎて来たのでは…?
結果、それらを追い求めていっても、いつまでも、満たされることはない…。
詩は、
山のずっと彼方に「幸せの理想郷」があるというので尋ねて行ったが、どうしても見つからず涙ぐんで帰ってきた。
なのに、
あの山の、なお彼方には「幸せの理想郷」があると、世間の人々は語り伝えている…。
この詩…
想い返せば、
幼少の頃、
島根の田舎「矢上」という山村で暮らしていた光景に重なります。
田んぼのあぜ道を、姉に手を引かれながら小学校に通いました…「ピカピカ?」の一年生…。
母や姉に後ろから支えてもらいながらの自転車練習。その支えや補助輪無しで乗れた時の喜びと感動…。
川や池で、フナや大きな鯉を捕まえてバケツにいれ騒ぎましたー。
父が当時農業高校の教師していたこともあり、家でヤギを数頭飼っていました。(私が7才の時、父を失いましたが、当時はまだ健在でした。)
そして、中坊さんのエピソード…。
「ある日の夕暮れ、父と私の前をある農家の家族が歩いていました。それを見た父が、「なあ公平、世の中で幸せ というのはあんなことを言うんや」と、なぜかしんみりと一 言うのです。その農家の家族は、その日に穫れた作物と子どもを乗せたリヤカーをお父さんが引っ張り、お母さんがその後を押していました。横にはおじいさんが鍬をかついで歩いています。当時はどこでも見られた光景ですが、それを見た父が「幸せとはこんなことを言うや。」
私の中の「リヤカー」は…、
「宇賀の荘」という島根にある村で、
3歳違いの弟を乗せて駆け回っていました。 お盆には必ずそうしていました。そこには「時間」という概念がなかった… 野山、川沿いの道など、
田舎に遊んだ象徴です。
(当時既に若くして亡くなっていた) 父の子供が里帰りしてくれた、というので、「祖田」本家の祖母が、伯父夫婦が…
みんな大変喜んで迎えてくれていたっけ…。その笑顔に囲まれていました。牛もいました…。
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「しあわせ」は身近にある、
いや、むしろ
身近にしかないのでは…
恐らくは、50年ぶりの
再会? 若しくは 出逢い?
ドキドキ、心ときめく
甲子園と里帰りです。
来週日本に向かいます!
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