投稿日: 2024年09月21日

いつ…だったろうか
娘のひとりに日本の歴史に付いて話した

 

その過程で
問われるままに
自分たち自身の歴史、先祖…
家族の歴史に及ぶ

 

私の父母や兄弟姉妹、祖父母
おじさん、おばさん、従兄弟・姉妹たち…
つながりの線を引き、名前など
たまたま近くにあったメモ紙に描いてみた…

 

時期、年代など
霞む記憶の糸を手繰り寄せながら
実際に紙に書いてみると、うろ覚えで何とも頼りない

 

そう言えば…
シカゴ育ちの我が家の娘たちは
幼いころ
おじいちゃん、おばあちゃん
おじさん、おばさん。。。
との懐かしむべき記憶、想い出がほとんどない

 

周りに「親せき」「身うち」と呼べる人たちと
ほぼ関わりのない…
なじみのうすい

 

いわば親しみのあまり感じぬ人生を
これまで歩ませて来てしまった

 

娘4人は、今や既に30-40代…
せめて今からでもできる範囲で
そんな皆んなのためにも
そんな彼らの子たちに向けても

 

そして
自分のためにも
ふりかえっておこう

私のできる時に
整理しておきたい
残しておきたい
と思った

 

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当然ながら。。。

 

両親・父母無くして
私たちの存在はない

 

なので
それをさかのっぼってたどり続ければ
どこかで必ず皆が繋がる

 

私の場合、否、私の世代すべての人の
親、そして祖父母たちは

 

激動の明治、大正、昭和という
歴史の流れの中…
まさに時代の波に翻弄されながらも
その逆境の中で懸命に生き抜いた

 

彼らの苦悩や喜び
すべてが織りなす一つの大きな物語の一部として
私もまたこの一瞬を生きているのだと実感する

 

その懸命に生きた足跡が
今の私たちの身体のどこかに息づいているはず

 

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家系・ファミリーヒストリー。。。祖先の歩みを辿る旅
切っ掛けは、上記の如く、娘との会話だったが
おかげで、自分のルーツについて思いを馳せる機会が増えた

 

これまでは、日常の暮らしの中で少なくとも私は
「これから先」。。。未来に目を向けることが多く
「過去」 について深く考える機会は少なかった
少なすぎた。。。かもしれない

 

「自分はどこから来たのか?」

 

人生の中で自分が誰であり
どのような背景を持っているのかを知ることは
自分自身の理解を深めるために大切なことだと感じる

 

具体的な活動を始めてから
早や2年が経った
私や、共有すべき年長の方々の事情を考えると
そんなに悠長に構えている時間はない

 

それでも、一方
プロの調査の手を借りつつ
私自身の日本旅を通して
親族の多くの方々のご協力も得て
少しづつ積み重なって来た

 

私自身の直接の親はもちろん、
親の親、そのまた親・親。。。伯父・伯母
その兄弟姉妹の関係、生没年月日、写真。。。

 

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その間の当時の世相。。。
その時期特有のトレンドや、人々の考えや社会の動き・出来事は。。。?

 

(1) 大正・昭和初期の暮らし。。。
日本の近代化が進み、特に民主主義や自由主義の風潮が広がった時代

 

●  大正デモクラシー: 明治時代からの軍国主義や封建的な体制に対抗する形で
自由や民主主義の風潮が高まり
選挙権の拡大や政党政治の発展が進み、民衆の政治参加意識が高まった

 

●  社会的自由と個人主義の台頭: 西洋文化の影響が強く、ファッションや音楽、ライフスタイルなどに自由な雰囲気が広がり
特に都市部ではモダンな生活様式が流行した
女性の社会進出や教育の向上も進んだ

 

● 関東大震災(1923年): この大災害は社会や経済に大きな影響を与え
震災復興や防災意識が高まった

 

● 国際的な影響: 第一次世界大戦の影響で経済的には好景気が続き
日本は国際的な地位を高めたが、戦後の不況が民衆の不安感を増した

 

(2) 昭和初期。。。戦前・戦中。。空襲、疎開
日本が大きな変革と危機を迎えた時期であり、その世相も激変
● 昭和恐慌(1930年): 世界的な大恐慌の影響で日本の経済も大打撃
失業や貧困が広がり、農村部を中心に社会不安が高まった
この不況に対する政府の対応が遅れたため、国民の不満が蓄積

 

● 国粋主義と統制社会: 過剰な軍国主義や国粋主義をメディアが煽った
それに伴い、言論や思想の統制が厳しくなり、自由な表現が制限されるようになった
政府は国民の思想や生活に強い干渉を行い、
戦時体制へ=>大東亜戦争(第二次大戦)

 

日本の戦時中の行動に付いては、
従来、他国の主権を一方的に侵害し
現地住民に対して搾取や暴力を行ったとされていた

 

しかしながら
戦後の秘密公文書の公開や新たな研究により
自衛や経済的な必要性を背景にしていた側面もあり
当時の出来事が見直され、再評価されつつある

 

事実、
アジア諸国のリーダーたちの多くは
日本の戦争行為を「アジア解放」として評価している
戦時中の日本の行動が自国の独立を後押ししたと感謝
(何故か、反日教育を行っている中国と韓国を除く)

 

● 文化面の変化: 西洋文化が依然として流行していたものの
次第に「和風」を強調する動きが増えた。
ラジオ放送の普及や映画の発展により
都市部を中心に新しい大衆文化が広がった。

 

(3) 大東亜戦争(太平洋戦争)後。。生活苦、食糧不足など貧しい暮らし
大きな変革と復興の時代。。。戦争の痛手、アメリカによる占領統治、経済復興
そして新たな社会構造の形成が強く影響を与えた。

 

● 戦後直後の混乱(1945年~1949年)
敗戦のショックと食糧難: 1945年8月の敗戦直後、戦争の荒廃は日本全土に広がり
特に都市部では建物やインフラが破壊され、生活は非常に困難な状況に陥った
食糧難が深刻で、闇市が各地で広がり、多くの人々が飢餓と極貧生活を余儀なくされた

 

アメリカの占領統治(GHQの支配): 戦前の体制からの脱却
連合国軍の占領下で、アメリカの主導による政治・社会改革
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は
民主化と非軍事化の旗印の下。。。憲法改正(日本国憲法の施行)、農地改革、財閥解体

 

● 戦後復興と経済成長の始まり(1950年代)
朝鮮戦争特需(1950年~1953年): 朝鮮戦争が勃発、アメリカは日本を後方支援基地として利用
大量の物資調達を日本に依存→経済は急速に回復、工業生産が急増
1950年代後半には「もはや戦後ではない」と言われ
家電や自動車などの工業製品が次第に普及し始め
生活水準が改善
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ルーツ調査におけるポイント。。。

● 家系のルーツとその地域の歴史。。。家系のルーツがどの地域にあるのか、その地域が歴史的にどのような出来事に関わってきたのか
● 家系の成り立ちと時代背景。。。なぜ、どのように家系が守られてきたのか
● 家系に関わる人物とその役割。。。その人の行動や生活が、家系にどのような影響を与えたか、またその影響が後の世代にどのように引き継がれたか
● 家族の口伝や伝説を歴史的に検証。。。その伝承がどの程度真実に基づいているのか
● 家系図と歴史的出来事とのリンク。。。具体的な歴史的出来事とのリンクを視覚的に示す
● 家系の変化と社会の変革。。。明治維新や戦後の復興期など、特定の時代の変化が家系に与えた影響

 

まだまだ。。。調査・学びにおいて
終わりが見えないトンネルを進む感もするが

 

今を生きる者たち
後世に続く者たち…

 

世界のどこに居ようとも
世代の壁があろうとも

 

スマホ、ネットの時代になって久しい今。。。
逐次共有していくことにした

 

どこかで、誰かの、何かの繋がりに資するものと期待する

 

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さて…
この度、家系調査旅の過程で
思いがけぬ貴重な資料を入手した

 

波乱万丈に生きた母と娘、親子二代の回顧録である
世代間による若干の時代のズレはあるが

 

ほぼ同じ時期に
重なる地域と時間…
しかし全く異なった境遇…人生
母・娘でありながら共に過ごすことはなかった…

 

それぞれが
自分の人生を振り返る
長編実話物語である

 

彼女たちは。。。
私の母の  「叔母」と「従妹」であった

 

私自身の幼少期の情景が
なつかしの人や土地の名前と共によみがえる

 

夫婦、親子、兄弟姉妹
家…後継、養子
離婚…別れ、再会

 

そのドラマの中に
嫉妬、怒り、悲しみ、悔しさ の中に
情愛と愛情が重なり合う

 

親の想い… 対する 子の気持ち…
それぞれの異なった立場、視線で
同じ「人物」や「事件」を物語る

 

● 記録された年は、約45年前の筆
1980年12月 と 1981年5月

 

● 描かれた舞台は、そこから更に遡る。。。
20世紀前半の
私の生まれるずっと前…
私の親世代がかろうじて誕生する頃…
空襲遇った先の大戦のかなり前から

 

戦後、私が生まれ
日本が貧困に喘いでいた頃に至る…

 

片田舎の暮らしや仕事を通した
人間模様を赤裸々に描く

 

時のいたずらか
それとも気まぐれか
運命の儚さか…

 

それぞれが、それぞれの
実体験を紡いだ物語

 

とりわけ
狂おしいまでの「嫉妬」
「執念」「憎悪」「自尊心」「こだわり」…
そして
「思い込み」「あきらめ」
その厚い壁は乗り越えられなかったのだろうか…

 

その 「究極の選択」 が
たった一回だけの、一人の人生を惑わす

 

私の生まれ故郷である
山陰のとある片田舎の暮らし
私自身の幼少期の光景がありありと目に浮かぶ

 

その日々は。。。
恐らくは日本全国どこでも普通に見られる
ごく一般の日常に共通するものではなかったろうか。。。

 

小倉、原、久保、石倉、井上、足立、祖田…
私にとってなじみある「家名」「姓」である

 

そして、地域。。。山陰の田舎の村や町
広瀬、大塚、宇賀庄、安来、松江、皆生、米子…
かつて親も私も住み、よく訪れ。。。
慣れ親しんだ土地である

 

「広瀬」は。。。私自身と私の母の生まれ故郷
「宇賀荘」は。。。私の父の生まれ故郷

 

「大塚」は。。。この回顧録・物語のメインの舞台
島根県能義郡大塚村 (現:島根県安来市大塚町)
広瀬と宇賀荘の間に位置す

 

人生の不思議とは
理解を超えた奇跡の連続だが。。。

 

●、私の母はこの地の幼稚園の先生だった
● 私の義父(高知)が特攻隊戦友の一人を訪ねた場所でもある

 

そして
● 「ゲゲゲの女房」で「全国区」になった
NHK連続テレビ小説、(2010年3月29日から9月25日まで放送)
漫画家・水木しげるの妻・武良布枝著『ゲゲゲの女房』が原案
>>>  主題歌:いきものがかり「ありがとう」
https://music.youtube.com/watch?v=cRYcrnzWbOI&si=ZbGBP3nGL9F7jiDr

 

1939年(昭和14年)のヒロイン少女期 ~1961年(昭和36年)
窮乏生活の中で喜びも苦しみも共にする夫婦の軌跡が
妻の視点で描かれていた

 

上記、親子二代のそれぞれの回顧録は
まさにその同じ時代(戦前~戦後)に生きた二人それぞれが
後世に残したい・伝えたいと
万感の思いで記したものである

 

その記録の終わりごろ、昭和30年代と言えば、
彼女たちの人生の最後の輝きと
私自身が無邪気に過ごしていた幼い日々が交錯し
不思議な感覚に包まれる

 

人生の終わりとは悲しみの中にあるのだが
同時に自分が子供だった頃の記憶が甦ることで
その人とのつながりがより深く感じられる

 

幼い頃は無邪気・無意識に過ごしていた日々が
今となっては
その人との特別な時間であったと気づかされる

 

私の祖父(母の父、「米子さん」の兄)。。。
(1894.01.28 – 1974.03.27)
たまにわが家にも立ち寄ってくれた
「わしも80になーだけんなぁ。。。」の言葉が耳に残る
松江城に連れて行ってくれたことを思い出す。

 

その彼が、その昔、町会議長となり遺族家族会を代表して
「天皇陛下に拝謁の栄を賜り、得がたい記念の写真を残した」
とは、下記米子さんの回顧録を読むまでは知らなかった

 

+++ (1) 我が母の叔母(石倉米子): 「想い出の日記」(昭和55年12月吉日) +++
叔母は詠んだ。。。
「明治で生まれ 昭和で老いし吾にして 残り少なきうつし世とぞ思う」
「何気なく書きし手紙も 母逝きし年ともなれば 遺書めく思い」

 

山中鹿之介・熊沢蕃山
「憂きことの尚この上に積もれかし限りある身の力にためさん」

 

苦労が大きければ大きい程
倖せも大きく感じるのではないだろうか。
おのずからありがとう御座いますと合掌したくなる

 

胸の奥深くにしまっていた悪夢の様な想い出をさらけ出した
之で忘却の彼方へ追いやることが出来る
再び思い出すこともあるまい
安らかに昇天出来る境地にあることを喜ぶ

 

● 回顧録全文:(パスワード有:限定共有・公開)
https://drive.google.com/file/d/1N_rmS6g5zYGZiPZ0gabFpbMR6NLknN16/view?usp=sharing

 

● 彼女の回顧録に付いては、少し前のブログにも一部紹介した
https://sotexglobal.net/president_blog/20240901_%E3%80%8C%E6%83%B3%E3%81%84%E5%87%BA%E3%81%AE%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%80%8D/

 

+++ (2) 我が母の従妹(原あやせ): 「憶い出の記」(昭和56年5月26日) +++
書き出しは。。。
>>> かすかな記憶の糸をたぐってさかのぼって行くと
三才頃のことになろうか?
祖母・雄千代(おちよ)と 2 人だけの暮らしから私の生活は始まっている。。。

 

そして。。。
>>> 結婚後三十四周年も近い今
やっと両肩の重荷を降ろしたという実感がふつふつと湧きあがってくる
夫と二人幸せな日を送れることを心から感謝してペンを置く

 

● 回顧録全文:(パスワード有:限定共有・公開)
https://drive.google.com/file/d/1GluqvVs78Yn32KsPvimpMQncICy3N79u/view?usp=sharing

 

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「米子」大叔母とは 母の実家「小倉」にて
何度かお目にかかった微かな記憶がある。。。。

 

今となっては
物語の主人公のお二人に会うこと
叶うはずもない

 

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追記:

 

この二つの物語は
当時の世相、時勢、田舎の暮らしの事実を
人生の幕を閉じるにあたって後世に伝えたいとの強い思いから
45年前に赤裸々に語ったもので
当時の親戚関係筋に配布された

 

私自身、今回それを手にし初めて読ませて頂いた

 

恐らく日本全国多くの地域で
このような境遇にあった父母、祖父母がおられたことは間違いない

 

そう思うと
社会風土、習慣、生き様、考え方等
私のような山陰の片田舎に生まれ、育った者にとってのみならず
多くの人に何らかの学びにつながれば。。。
との気持ちがつのった。

 

そこで、この度
このお二人の直接のご子息、ご家族の方の
お許しを得て限定公開(パスワード付)することにした

 

しかしながら
「達筆」で記されている上
約100年前に生きた人独特の表現もあるので
少々読みずらい

 

そこで
原文を可能な限り活かしつつも
今を生きる人が
気軽に読み易く
理解しやすい様

 

スマホやPCでも読みやすくするための工夫
テキスト・デジタル化した (但し、パスワード付: 希望者のみ)

 

限定した方向けのみの配信とは言え
多くの個人情報を含む内容に付き
その取り扱いに付いては充分ご注意ご配慮をお願い致したく。。。

 

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