思えば
とても濃い熱いお付き合いだった…..
初めてメールを頂いたのが1月26日
あれからわずかに半年
メッセージも頻繁に交わしたわけでもない
もちろん会ったこともない…
が、
思い、感情、気持ち の往来は
すごく密だった
奥様から
「私が生存中のことでよかったね」
と繰り返し言われた…
との言葉が
今となっては強く心に残る
私たちにとっても
それ程に奇跡的な出来事だった
双方の家族で全てを共有できた
3月1日にはお電話まで頂いた。
日本時間では深夜…
「こんなことが現実にあるのだろうか」と
喜びと感謝の言葉に
私たちの心も震えた
思いがけなくバドミントンの話で盛り上がった
重病を患っておられるとはつゆも気づかなかった
ネット社会、
今では若い人ならごく普通にやっていること
とは言え、
先月80歳を迎えたばかり
ひたすら地元の町の医療と健康一筋に
その一生を捧げてこられた人
町を出たこともない…との事だった
そんな人が
重い病の床から
「国際通話」を試みること自体
(今にして思えば)
力を振り絞った勇気の要る
文字通り最初で最後の作業だったに違いない
6月23日
思いがけない贈り物が届いた
ご夫婦の連名だった
●地元の町で奇跡のハガキを伝える新聞社3誌記事(3~4月)
●前田さん所属の医師会の3月29日付「たまな医報」への投稿記事
と共に
熊本城をモチーフにした
「肥後像がん」
発送日を見ると4月12日
船便で2ヶ月半もかかっていた
6月23日、折り返し
贈り物へのお礼の電話をした
奥様は
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輸血をしても以前ほどの回復力がありません
この7月をクリア出来るか分かりません
本人も精一杯、一日一日を過ごしてはおりますが、
新聞取材の記者に熱く語っていた
「3月の頃を懐かしく」思います
と…
落ち着かない日々が続いた
そして今、届いた便り…
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精一杯頑張って来ましたが
この7月に入り日に日に弱り力尽きました
最後に嬉しい奇跡に出会って良い人生だった…
送ってもらった葉書にどんなに力付けられたことか
今からお付き合いしていけるのに
どんなに残念だったことでしょう
でもお礼品も届けられて安心して逝きました
いつかは別れがやって来るもの、
「おかあちゃん、泣いたらいかんよ、世話になったね」
の言葉を残して…
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今頃、
76年前の、記憶すらないお父様との「再会」に
抱き合っておられるのだろうか
奇跡のハガキは
間に合ってよかった…
でも
お会いしたかった…
我が家のリビングでは
「肥後像がん」が
毎日私たちを観てくれている
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