今週の機関誌マラソンは2011年2月号…
日本航空の会社更生法の適用申請
からちょうど一年…
かつて国内外で親しまれた
「鶴丸」と呼ばれるロゴマークも復活。
稲盛さんが、JAL再建のため会長職を引き受け、
V字回復の兆しが見えはじめた頃…
今回、予ねてから
私自身が気になっていた
ことではありますが、
稲盛さんの軸になる「ことば」…
「人は何のために生きるのか」
「心を高める、経営を伸ばす」
について、
これは、経営者のみならず、
万人に等しく問われ、
学び続ける必要があるのではないかと…
「いのちの森文化財団」の
塩沢理事長夫婦 から、
新たな気づき & 深掘り
のチャンスをいただきました。
「人生は経営そのものである」
経営とは営みの経(みち)…いのちを営む経(みち)
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生から死は誰もが平等に与えられたものです。
お金持ちも貧乏人も、
無学の人も大学を出て教養のある人も
すべての人に平等に死は訪れます。
すべての人々が思っていることの究極は、
愛したいし愛されたい
ということです。
病気になっても、死を間近に控えた人でも、
どんな人でも、愛したいし愛されたいのです。
そういう関係性が
人と人との間で作られることによって、
満たされて亡くなっていくことができると思うのです。
…….
ある施設の院長さんが、
「その人の死に方をみればその人の生き方がわかる」
とおっしゃっていました。
枕元の通帳ばかりを開いているお年寄りもいれば、
その通帳の残高を確認するために来ている家族もいる。
とても寂しいことです。
だからこそ、
塾長は哲学をつくってくださり、
勉強をして深まりなさい、
高まりなさいとおっしゃってくれている
のだと思います。
実は、私たち夫婦は2人とも
癌を患ったことがあるのです。
思い返して、
なぜ癌になったのかといえば、
食べ物の大事さを さらに深く
私たちに気づかせるためだったのでは、
と思っています。
その時にもう一押ししてくれたのが
フィロソフィーです。
癌になった自分の心のあり方を見てみよう、
何かが違っていたのではないか、
何かが足りなかったのではないかと、
お互いに深く考えました。
稲盛哲学はつくづく万人のための哲学だ と
この時に思ったものでした。
ここにも 癌患者さんがいらっしゃいますが、
実際に癌になったときにどういう心の状態になるのかは、
自分も癌になってみなければわからないわけです。
ですから、
より深く人生を知るために
重度の娘を与えられ、
2人とも癌にもかかって
奥深い奥義を知るために、
私たちは試されのたのかな
と思っています。
………
経営者があの世の話をしたり、
前世や来世の話をしたりするのは
筋違いだろうという人たちが今でも結構いると思います。
しかし、経営者も人間です。
癌になる経営者もたくさんいます。
死んだら自分はどうなるのだろうと誰しも思います。
例えば、癌の患者さんたちも、
死んだら終わりなのだと思うのか、
死ぬ寸前まで自分を高めていくというか。
少しでもきれいな魂になって
旅立っていきたいと思うのか。
それが死に方にもあらわれてくると思います。
ですから、
フィロソフィーは人間の持っている
不安感、恐れ、苦しさ、悲しさ、
そういう思いを越えていく意味も持っていると思うのです。
………….
「人生は経営そのものである」
究極、
人間は人生というものを通してしか、
本当の学びはできないのです。
ですから、
塾長は「仕事を通してしっかりとやりなさい」
と説かれているのです。
それは、仕事だけをしていても駄目で、
この仕事を通してというところに
六波羅蜜の教えを説きながら、
人間として正しい生き方をしなさい
という意味が込められていると思います。
…………….
「経営」と言えば、
経営者だけのものだと思いがちだけれども、
経営者ではなくても、
われわれは日々経営をしているのです。
自分のことも経営で、
家庭のことも家経営です。
人生そのものが経営なのです。
私は
経営とは営みの経(みち)、
そして何を営むかと言えば、
結局のところ
「いのちを営む経(みち)」
だと思っています。
フィロソフィーは
経営者のためだけにあるのではなく、
主婦のためでもあり、
お医者さんのためでもあり、
家庭での人生哲学でもあり、
万人全てに共通するものだと思います。
私たちも究極は、
塾長が目指しているようなことを、
日々の営みを通しながら
伝えていくことができればいいと思っています。
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コロナは、「たまたま」
私たちの生き方に対し、
強制的に軌道修正を要求しているかのように見えますが、
果たして「たまたま」…
偶然…?
これから先は
「ニューノーマル」…
新しい常識、状況
に生きる必要がある、
と言われていますが、
「人は何のために生きるのか」
「心を高める…」
といった課題は
人類誕生以来、数千年に渡って問われ続けてきたこと…
その問いに対し、
私達は
何か勘違い、
計算違い
をしてはいなかっただろうか…?
日常的に慣れ親しんでしまった
「これまで…」 とか、
「どうせ…」 でよいはずもなく、
稲盛さん、塩沢さん
の様に、
日々の仕事や暮らしを通して
「ニューノーマル」
いや、
「原点回帰」
の要求に対する
自分なりの解
を考え、
求め続けていきたいと思います。
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