SNS時代における情報とメディアの変化

規模や舞台、背景や内容こそ全く異なりますが、アメリカ大統領選挙と兵庫県知事選挙は、大きな時代の変化を否応にも感じざるを得ない出来事でした
今、私たちを取り巻く情報環境は大きく変化しています。特に注目したいのは、従来のメディアとSNSの関係です
ニュースを見ていて「なんか違うな」と感じたことはありませんか? あるいは始めに見聞きしていた内容からズレたり変わってきているな…という気がしたり〜
従来のメディアには以下のような課題があります
まず、取材の偏り。ある出来事について、一つの視点からしか報道されないことが少なくありません。例えば、ある問題について当事者A側の意見は詳しく報道されるのに、B側の声はほとんど取り上げられない…というようなケースです
次に、「事実っぽい」報道の問題。一見すると正しそうな情報でも、編集方針に基づき、実は重要な部分が抜け落ちていたり、文脈が歪められた形で報じられたりすることが常套化しています。
そんな中、多くの人がSNSに情報源を求めるようになってきました。その魅力は:
– 多様な視点に触れられる
– 情報がリアルタイムで更新される
– 自分で真偽を確かめやすい
例えば、ある事件が起きた時、現場にいた人の生の声を[X] (旧Twitter)で読んだり、YouTubeで聞いたり、専門家による解説を[note]で確認したり様々な角度から情報を集められます
とはいえ、SNSに注意点はあります:
感情に振り回されないこと。特にXなどでは、センセーショナルな投稿が拡散されやすい傾向にあります。一呼吸置いて、冷静に情報を見極めることが大切
また、情報源はしっかり確認。「誰が」「どんな立場で」その情報を発信しているのか、常に意識する必要があります。
結局のところ、大切なのはバランス…従来メディアもSNSも、それぞれの良さを活かして使っていくのがベストだと思いたい…
例えば:
– 速報はSNSで
– 詳しい解説は新聞で
– 様々な意見はSNSで
– 専門的な分析は従来メディアで
…と言いたいところですが、残念ながらそれでは、結果的にバランスが取れそうにないのが実状な訳です
先ずは「確証バイアス」の存在…自分の信じたい情報だけを記憶、反対意見や矛盾する情報を無視する傾向があります
そして「脳の癖」という人間の脳が無意識に行う認知のパターンや思考の傾向がどうしても
NHKや新聞はウソを報じるはずがない…周りの多くの人がそうだし〜
となる訳です
しかしながら、この癖は、必ずしも合理的ではなく、いわゆる「思い込み」と言われていますが、厄介なことに当の本人はなかなか気がつかない
事実ではないのにそうであると信じ込む…人間の認知における錯覚の一種であり、先入観、誤った判断や偏見の原因になります
加えて、人の心理にバンドワゴン効果(Bandwagon Effect)が働いています…
「多数派に流される心理現象」のことを指しますが、特に、人気が高いものや流行しているものに対して、多くの人が「自分も同じ選択をしよう」と思うことになります
そこで、従来のメディア…に付いて、以前はここまでとは思わなかったのですが…
(1)反面取材を行なっていない.…本来報道やジャーナリズムにおいては、中立性や公平性を保つために行うべき…ところ、取材を行う際、そのテーマに関して異なる立場や視点を持つ人々から情報を集めていない
(2) 一部はホントのことを言いつつ、事実っぽいこと、事実らしいことを並べ、視聴者に事実や本質を誤認させてしまう
(3)記者がせっかく集めてきた生情報でさえ、監督官庁、スポンサー、利権組織に忖度しその意向に沿った会社の編集方針によって、国民目線とはズレた方向にねじ曲げられてしまう
少なくともそのように角度をつけて報道されたメディアに愛想尽かした人たちが、別の情報ソースを見出した…それがたまたま今日のSNSであり、SNSの上に乗っている情熱や真実の一端を垣間見た…見つけることができた、という流れになっている.
これが米国や、今、いよいよ日本でも起きつつある現象ではないでしょうか…
インターネットの普及により、新聞、テレビなどの地上波メディアの弱体化が言われてきで久しいです
その後、スマホの時代…すなわち、通信速度や回線速度が格段に向上したことにより、音声や動画もごく自然に不自由なく、入手可能になったことにより、 ポッドキャストや YouTubeなどを通して、誰もがすきま時間にいつでもどこでも情報入手が可能になり「選択の時代」になった
従来型は「SNSなどデマや陰謀ばかり」と切り捨て…過小評価したのか、従来からの体質を変えることを怠ってしまった…どうやらこの時代に置いてけぼりになったようです