「左手」& 「安倍さん」
が、突然、目に万華鏡の世界が飛び込み、最後に薄黒い土、コンクリートが映った…
同時に手、足、頭を何か硬いものに打たれ…ついで激痛が走った
一瞬、「どうした…」
わけが分からず、気は確かな自分に問うた…
ハッと我に返り
恥ずかしさから、周りの人に悟られまいと何とか立ち上がった
誰かにずっとコトの始終を見られているような気がして、何事もなかったかのように振る舞い、ランニングを続けた
家に戻ってみると、右膝と右手のひらにすりむき傷、外傷はないのに左手首が妙に痛い
幸い右手は使えるし、なぁに、すぐ治るだろうと軽く考えたが
連れ合いはすぐに応急処置用アイテムを…とドラッグストアに走った
たまたま「互いに無理しちゃいけないね」とこの日は従妹とのんきにLINEメッセージを交換してもいた
その時、タイミング…
「時間」にセンシティブな有料(金融関連)コミュニティーのSNS(テレグラム)で、「安倍さん」が飛び込んできた
日本時間では7月8日のちょうどお昼の時間…
「暗殺事件」が起きてから30分後
手の痛みは吹っ飛んだ…
何故か無性に辛く、身も心も震える…
重い時間が流れた
その夜は、手の痛みも加わり眠れるこができず、最悪のニュースを聞くことになった…
医者嫌いで、気が進まなかったが、家族の強い勧めもあって、朝には腫れあがっていた左手を診てもらうことにした
家の近くにあるウォルグリーン(Walgreens )の本社ビルには既に半旗が掲げられていた…まさか安倍さんへの弔意?…と思った
喪失感で、何かにつけ手につかない
集中力を欠く日々…自分でも「どうしちゃったんだ…」と、不思議
海外に住む日本人だからよけいにその気持ちが強いのだろうか…
が、
私が敬し、信頼する多くの人たちからの日々の言葉や活動、動画情報などを通じて、私の中の安倍晋三さんはしっかり育っていた
知らず知らずのうちに
日本を護るべき、特に対外的には誇るべきリーダーとしての彼が心の中に育まれていた
残念ながら…
日本国のトップとしての政策…財政、拉致、コロナ、憲法、安全保障…期待した成果からはほど遠かった
でも、安倍さん自身がそのことを痛感、葛藤の中にいるに違いないとみえた
考えてみれば、戦後77年の膿が、彼やほんの一握りの同志だけであるべき姿に甦らせられるはずもなく、どれほど苦難の道程だったかしれない
この一週間、「人間」安倍晋三に惚れた人々が日本、いや、世界中にこんなにもいたのには幾らか救われた…
それなら、なぜ多くの
特に肝心の日本国民の大半、一人一人が
彼の真価を、可能性を理解し切れず、あるいは声を上げず、これまで建設的な議論がなされてこなかったか…!
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(1) 過去の成功体験から抜け出せないまま、過度に失敗を恐れて、現場変更を嫌い、時代の変化についていけなくなった重度の適応障害
(2) 個人が組織や主君に滅私奉公するトップダウン型の関係性の中で染み付いた受け身体質・自己犠牲体質とそれに伴う個人の萎縮や思考停止の慢性化
メディアに踊らされ
事なかれ主義、愚民化、平和ボケ…
がもどかしい、恨めしい
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LINE友達から…
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「ホーチミンの日本総領事館で安倍さんの弔問記帳に行ってきました
記帳する際にパラパラとめくってみたら多くのベトナム人が長文のベトナム語で記帳していました
ちょっと驚いたのですが、私の隣にいたおじさんは記帳しながら泣いていました
ベトナムでは確かに安倍さん人気は高かったのですが、他国の元首相が亡くなって泣くことなんてありますか?
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わずか4ヶ月前の今年3月近畿大学の卒業式でのスピーチ…
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(私は)
特別な優れた人間だったわけでもない
「何か役に立ちたい」と、こう思う、こう考える人が多いのに驚かされている
どうかチャレンジして、失敗しても立ち上がってください
毀誉褒貶…
これまでメディアの一方的な喧伝活動は如何ほどのものだったか…
最も命の危険にさらされた人
でも身の危険以上に
「国民の近く」にいることを望んだ
どれ程に無防備だったか…
今回の事件で明らかになった呆れるほどの日本病
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レントゲン結果を診た医者に「Interesting」
本日7月15日、CT/MRI検査、Highland Park Hospitalの予約が入っている…
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因みに…
ハイランドパーク(Highland Park)は私の住むディアフィールド市(Deerfield)の隣町…昔はバドミントンに日々通っていた
わずか10日前の米国独立記念日に発砲事件があったばかり…友人の無事は確認された
私の日常生活の舞台、わずか10-15分程度離れたところ…こんなことが起きるなんて…
この事件は、世界中の人を震撼させた…
大阪の仕事仲間から気遣いのメッセージも頂いた
7月4日と7月8日
決して他人事ではないことが
私にも、そして
「日本の」多くの人に
身体の底まで明確に伝わったに違いない
平穏な日常が
いかに脆いものの上に組み立てられているかを思い知らされる
「無関心」でいる事はできても
「無関係」であり続けることはできない