「想い出の日記」
という名の
家族、親族宛の小冊子
大阪で今回遠縁のKちゃん(私より9歳上)から預かった
昭和五十五年十二月吉日
大叔母(Kちゃんの母)の綴ったこの日記…
「皆、忙しい体だ。折を見て読んでくれ。くれぐれもそのことは言っておく」
に始まる…
母も77歳の高齢に達した
年若い人々に先立たれるショックは大きい…最高年齢となってしまった
私が今口を噤んだら、昔話も立ち切れとなってしまう
書かねばならぬ
書いておかねばという焦りのようなものをひしひしと感じる様になった
拙い長文で読みづらいと思うが
思い出のページをひもといてみる。
大叔母は詠う…
「明治に生まれ昭和で老いし吾にして残り少なきうつし世とぞ思う」
そして…
現在は今のことをすぐに忘れてしまうくせに、50数年前の過去というのに、まるで昨日のように一言、一言、言葉の端々まで耳に目に鮮明に残っている
忘れようと努めれば努めるほど、ますますはっきりと浮かんでくる。どうしたと言うのだろう…
103ページに及ぶ長文の日記
まさに万感の思いが切々と語られており明治・大正・昭和の生き証人として、多くの親族の方々に身の内、事実を伝えたい、残しておきたい一心で書き上げられたもの
「憂きことのなおこの上に積もれかし限りある身の力ためさん」
大叔母は何度かこの歌を挙げ「蕃山のこの歌にどれだけ励まされてきたものか」と述べている
熊沢蕃山…中江藤樹に師事した江戸前期の陽明学者
戦国時代の山陰の大名尼子氏の家臣、山中鹿之介が詠んだとも言われているこの歌は…時代を考えれば、鹿之助の歌を聞き覚えた蕃山が、後に我が身と重ね合わせて歌ったのかもしれない
そして…
尼子のまさに拠点たる月山富田城の麓、広瀬で生まれ育った大叔母が幼少期より長年心の支えとしたこの歌に今度は我が身を重ねて勇気づけられ続けて来たに違いない
「不撓不屈」
「願わくば、我に七難八苦を与えたまへ」
そしてこの歌
「憂きことのなおこの上に積もれかし限りある身の力ためさん」
「さぁ、辛いこと、もっと来い。どれほどのものか自分の力を試してみよう」
…今までにも多くの辛いことがあったけれど、これからさらに辛いことが積み重なってもかまわない。自分の限られた力を尽くして、それらに立ち向かっていくぞ!
家屋の全焼
見知らぬ人との結婚
姑の異常なまでの嫌がらせ
離婚…一人娘を手放す
苦しさ、悲しみ、悔しさに打ちひしがれている自分を鼓舞してくれ、前に向かう勇気を与え続けてきた…
103ページ目の最後にこう結んでいた…
繰り返しては心に鞭を打ってきた
苦節50数年、人生航路の荒波をあまりに多く乗り越えてきた
苦労が大きければ大きい程、倖せも大きく感じるのではないだろうか…おのずからありがとう御座いますと合掌したくなる
胸の奥深くにしまっていた悪夢の様な想い出をさらけ出した
これで忘却の彼方へ追いやることが出来る
再び思い出すこともあるまい
安らかに昇天できる境地にあることを喜ぶ