ハロウィーンの日& 決断の時
シカゴ郊外、
私達の住む町ディアフィールド市は
このところようやく、
冬らしい気候になってきました。
天気は良かったのに、
車内の温度計は、
外気温、華氏38度 (摂氏3.3度)
を示していました。
夕方になると、
この日はいつも、
近所の子ども達が
「トリック・オア・トリート」
Trick-or-Treat
私達がシカゴに来た当初、
かなり以前になりますが…、
(1990年台までくらいかな~)
次から次と、
とってもたくさんの子ども達が
やって来ました。
なので、
我が家でも相当な数の
クッキー・お菓子を用意していたのでした。
嬉々として出かけて行き、
キャーキャー騒ぎながら
次々、近所の玄関のベルを鳴らしては
この日ならではの
「近所巡り・ゲーム」
を楽しんでいました。
帰って来るなり
ハロウィーン・クッキーを
床一面に拡げては
どんなの を
どれだけ たくさん
「戦利品」を
勝ち得てきたのか、
でも、
我が家の子ども達が
大きくなって、
学校を卒業する頃になると、
そんなゲームも
すっかり 色あせてしまい
廻りの近所もめっきり静まりかえるようになっていました。
特に、
やはり2001年、
あの「9.11」の頃からでしょうか…。
年によっては、
小さな訪問客が「ゼロ」
の事もあり、
あの何だか華やいだ気持ちにさせてくれていた頃を思うと
何となく
うら寂しい、
物悲しい
気持ちになります。
あのひっきりなしになるドアチャイムの音が
懐かしい…、
と思ってしまうのです。
(実は、私自身がお菓子を直接手渡したことは
ほんの数えるほどしかないのですが…。)
「ハイハイ」 と
喜んで
玄関の扉を開けるWifeでした。
昔は子供達だけで来ることが
ほとんどだったのだけど、
子ども達の後ろには
「親の付き添い」
があります。
それも、複数の家族単位
でやってくることが多い様です。
(a) 私の家、
(b) 近所、
(c) 3人の娘たちの職場(小学校、会社)
++++++++++++++++
「十年一昔(じゅうねんひとむかし)」
と言います。
どうやら
この年月の流れが
麻痺しているみたい…。
「ずいぶん以前」
「はるか昔」
のように思えてみたり、
この町に移り住むようになった
1990年当時 が、
それまで
安心安定(?) の
日々慣れ親しんだ
日常…。
あまりに 気安く
あまりに 気軽に
何でもかんでも、言ったりしたり…、、
の毎日。
病弱だった姉を除けば、
所謂、普通の家族環境・関係。
母子家庭だったこともあって
母は毎日仕事と家事の時間に追われていたけど、
何一つ不自由ではなかった。、
只、家族一緒に出かけたりすることは無く、
(県外には修学旅行くらいのもの)
乗り物に乗って出かける、と言っても、
隣町、安来にある親の里への旅
しか考えられなかった。
学校や塾で、
(…番) になったとか
(…長) に選ばれた、
と言っては
母を喜ばせるのは楽しかった。
未来永劫
ずーっと
ずーっと
続くと思っていた…。
でも、
ある日
「突然」、
そんな日が終わりを告げたのでした。
「又、すぐに帰って来るよ…。」、
と言う軽い調子で
さっさと
でも、いざ一人で
4畳半のアパートに住み始めてみると、
味わった事のない妙な気持ちに…。
忘れられなくて…。
何なんだろう、
この感情は…?
+++
(今思えば…)
当時は
あの原爆の日から
24年経った程度だったのですね~。
でも私の広島は
そんな暗い影を
全く思わせないイキイキした町でした。
学生運動真っただ中
そんな学生生活が始まりました。
そんな新しい日常は、
変化に富んで面白かった。
+++
「ブルーシャトー」 の ブルーコメッツ、
グループサウンド…。
麻雀、バドミントン、ランニング、
遠征・合宿、バイト…。
の日々。
いろ~んな体験、
何もかも真新しく、
めずらしく…
そんな日々だった。
家と学校の往復生活、
受験勉強…。
(とは言え、暗いものでは決してなく)
それはそれで
「平和」で楽しかった。
受験勉強すらも
ある意味、
ゲーム感覚もあったし…。
ことになります。
世間一般の人が、
親元をはなれる普通のパターンなのですが…。
いずれにせよ、
私にとっては
真逆に近い生活になりました。
過去の延長線上にない
次元の違う日々でした。
新鮮な出会いと感動がありました。
例えば…、
中村雅俊の
「俺たちの旅」
「ふれあい」
の歌やドラマ
の主人公とその仲間たち
そのものだった。
私達の事を
ドラマ化したのかと思ったくらい…。
私が小学2年になった直後から
ひとりで3人の子どもを育ててくれた
に会うために、
盆と正月には
必ず帰っていました。
毎回、
母、米子の家族との再会は
楽しみだったものの、
何かにすがるような面持ち、
何かを訴えるような声、
それでも、
その後は…、
(New) life goes on…
(当時はそんなに意識していませんでしたが、
今思えば、若さに任せての勢いがあったのかもしれません。)
東京より「近くになった」
と、
「それだけで」喜んでくれた母。
その言葉で
ちょっとだけ
救われた気持ち、
になった事を思い出します。
自分でも、
「当初は」
想像もしない方向に進んでいってる…。
「いつか、世界中連れて行ってあげるね。」
と言っては、
涙の母に見送られた事が
何度あったのだろう…。
もし
お金 があったら、
時間 があったら、
条件 が整ったら、
余裕 ができたら、
自信 が持てたら…
やりたいことがあったら、
「この瞬間」
「今」
しかない。
そして、
覚悟のあるところ、
覚悟のある人に
人は集まり、
その人は
信頼され、
頼りにされる。
応援してもらえる。
覚悟して決断する。
「決めて断つ」
ということ…。
大声で叫びたくなるくらい
寂しいことにも出合うけど、
それでも、
その過去の延長線上にある
この流れを
「今」、「決めて断つ」。
もうしばらくは
そんな道を選んでみたい、
そう、思います。
中学生・高校生 の「米子」から
大学生 となる 「広島」へ、
「進級し」、
次いで、
「広島」 から 「東京」 へ
「東京」 から 「大阪」 へ
「大阪」 から 「シカゴ」 への
環境を変え、
人間関係を変えて、
「成長してきた」
頃ののように…、
子ども達4人が育ち、巣立った
この家、
この町…、
今、
このエキサイティングで
革新的な「世の幕開け」
に立ち、
今、
素晴らしいことを予感させる
「数々」に出会い続け、
世界的な、
時代の大きなうねり・転換期に
遭遇しています。
何と!!
(全く違う…。)
いつもの飾り付けではありませんでした…。
今年の痛ましい出来事を憂い、
平和を願う町の人の気持ちを
気遣っての
笑顔なのでしょうか…。