日本のステキ… 「富士山」&「明治150年 真の日本の姿 第3話」
日本に負けないくらい、日中は気温が上がるシカゴですが、
湿度が違いますのでさほど「不快な嫌な暑さ」ではありません。
かかる中、
高校同期の友人から素敵な「富士山」送ってもらいました。
私の故郷の「伯耆富士」大山も誇れますが、
「日本一」という訳にはいかないかもしれません。
河口湖の近くの三ッ峠山(1785m)の登山の際の「富士」
だそうです。
富士も素晴らしいですが、
山頂までの登山もスバラシイ!
刺激を受けて「ちょっと暑いけど…」と思いながらも
まずまずのペースでランニング。
おかげで少しずつ
長年のブランクを取り戻して行けそうです。
+++++
さて、第2話に続く
「明治150年 真の日本の姿 第3話」
です。
このストーリーに触れるにつけ、
日本人としての誇りを感じつつも
日本人生来の
生真面目さ、「和」の精神や、
他国の人も、日本人と同じ「まこと」
を持っているはず、
だから、必ず分かり合える…
と、
「考え違いをしていないだろうか?」
と思う。
その認識がかえって仇になり、
過去の
みすみす「仕掛けられた争い」に
突入した数多くの事件や戦争…。
争いが絶えない、この世界情勢の中で、
日本の「和」の精神を実践し、
「世界の中の日本」として
世界でリーダーシップを発揮するには、
すべての国は、自国の都合、国益 を優先します。
そのため、
あらゆる手を尽くして国を守ろうとします。
「超限戦」とは1999年
中国空軍の2人の大佐の著作
「超限戦、21世紀の新しい戦争」
の中で提言されているもの。
これは、
宣戦布告して軍事力を投入する通常の戦争ではなく、
新しい戦争は情報、政治、経済すべての生活の分野で
戦争を仕掛けるというもの。
コンピューター・ハッキングなどで
敵国の情報を混乱させたり、情報を入手したり
他国の人を謀って利用したり…
生き抜く
「智慧」と「力」
をも併せ持つ必要があります。
反日・親中等を意図し、
お金・経済的、政治的意図を背景に偏重した
地上波テレビや新聞報道に惑わされることない、
彼らの呪縛から振り解く
知識と心・精神武装をする必要があります。
そして、戦後の
プレスコードによる
「報道統制」
(他国の批判は一切認められない)
日本人に贖罪意識を植え付け、
日本人の精神を骨抜きにし、
その誇りや自信を凋落させる…
少なくとも、
強化するものでは決してない。
ことに当たって
外国人に対して毅然と
確固とした態度で臨めない人が多いのも、
その昔、
江戸から明治、そして 大正から昭和の初期
に至るまでの本来の
日本人魂を毀損させてきた、
忘れてきた 結果…
が、大きな一因かもしれない。
又、
現時点においてさえも、
日本が国として、
他国や国内の反日勢力の
情報戦 や プロパガンダ に弱く、
その積極的、強力な対抗策に逡巡するのも、
このことが無関係とは思えない。
さらに、
その歴史に携わる国の都合によって歪められていくもの…
この情報化社会の現在にあっては、
個々人が、そして、その個々の集合体が、
情報リテラシーを高め、
思考力トレーニングを重ね、
その意思と学び、智慧によって
より正常な「あるべき方向」に向かいやすい
環境になっていくようにも思います。
未来を創っていく次世代につなぐため、
そして
日本が無意味な戦争に巻き込まれないためにも、
2020年、戦後75年の節目に、
正しい日本の歴史を学び、
できるだけ多くの人と共に
日本人としての自信、誇りと
逞しい力を取り戻したい…
そんな思いで…
動画を視聴する時間のない人のために
内容を書き出しました。
大正〜昭和の一編・ストーリーを
味わって頂ければと思います。
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「明治150年 真の日本の姿 第3話」
(2話からの続き)
「パリ講和会議」
日本は人種平等宣言
=> 欧米諸国のお金持ち全員を敵に回すことになった。
第一次世界大戦における日本は戦勝国
=> 日本は景気が良くなった。
● モダンボーイ、モダンガール…自動車にも乗った…
そのわずか数年後、ほんの束の間…
女性は皆「もんぺ姿」になる。
もんぺ = 裾を足首のところで絞った労働用の袴。腰回りはゆったりしていて、着物の裾を入れることができる。主に東北の夫人が用いたが、第二次世界大戦中全国に広まった。
● 原因は…
1923年 大正12年 9月1日 関東大震災、
1,900,000人が被災者。死者行方不明者142,800人、
負傷者100,000人。
全壊家屋120,000棟、半壊家屋120,000棟、焼けた家屋440,000棟。
大正12年頃の首都圏の人口は江戸時代とあまり変わっていない。
江戸時代 200〜250万人
大正時代 200+万人
江戸時代の関東大震災クラスの地震による死亡者数は10,000人前後
住居はすべて木造家屋
大正時代はレンガ造りの立派な洋館もあった。
火災にも強く道路も広かった。
それにもかかわらず、死亡者数は14倍
地震そのものによる死者・行方不明者数
…概ね一万人前後だったと言われている。
問題は、
その後に起こった大火災
大火災によって約130,000人が亡くなった。
地震の直後に起きた火災は概ね消し止められた。
あちこちにオケが置いてあった…防火用水
江戸時代からの慣例として、
延焼を防ぐため、家屋をひっくり返せるように建築してあった。
にもかかわらず、翌日になって東京中に炎が上がった。
炎が炎を呼んで火炎柱、
竜巻のような炎 => 避難場所まで及ぶ。
周辺の人たちが、家から家財道具を持ち出し、
この避難場所に続々と集まった。
しかし、強風にあおられた炎が四方から迫り、
その火の粉が家財道具等に燃え移った。
激しい炎は巨大な炎の竜巻「火災旋風」を巻き起こし、
一気に人々を飲み込んだ。
この地だけで38,000人もの尊い命が失われた。
その時の記憶は隅田川にも残されている
今桜の名所になっている…
関東大震災の時、隅田川河川敷は避難所だった。
ここに逃げれば助かると考えられていた。
そこに火災旋風が襲った。
御霊を慰めるため、慰霊のため桜の樹を植えた…
翌日になって炎が上がった…
この原因は「火付け」によるものだと言われている。
略奪し、その証拠隠滅のため、
火付け する。
これは日本の文化にはない!
● 日本人の習慣
火災が起きたらみんなで火を消す。
避難するのに難儀をしている人がいたら
みんなでお互いに助け合う。
当時の東京には、
日本人ではない人もたくさんいた…
そしてそれが原因と言われている。
新聞にそのことも書かれているが、
政府から
「国内で特定の民族が狼藉を働いたと書き立てると内戦が起きる」
「悪いことをしていない人まで被害に遭ってしまう」
と報道規制が敷かれた。
例えば、
シャープ株式会社…創業社長・早川徳次
シャープペンシルのメーカーだった。
もともとは家電メーカーではなかった。
ヨーロッパに輸出、国内でも大ヒット。
関東大震災で工場が全壊。
早川氏は一文無しになり夜逃げして関西へ。
「ラジオを作ろう」→ 大当たりして今のシャープになった。
その後、
1929年、アメリカでブラックマンデー => 世界中がデフレ、恐慌となる。
さらに
日本では冷夏 => 東北地方で大飢饉が発生。米が穫れない。
● 米: 江戸時代には、大名が備蓄して万が一に備える。借金をしてでも商人から米を手に入れ用意して人々を救うという慣例があった。
大正時代には税金の支払いはお金。お米の備蓄はなかった。
● 教訓…歴史から学ぶ
外国の制度を「そのまま」真似ても、
日本の国土を考えた時に、果たしてそれで良いのか?
● 1922年 大正11年 ワシントン会議
建造中の艦船はすべて廃艦、
米・英・日の戦艦の総排水量比を5:5:3とする。
日英同盟では、
日本とイギリスは対等だった…5:5 の軍艦力
日英同盟が廃棄される。
英米同盟がスタート
艦船の保有率は 英米10:3日本
日本は、一瞬にして世界の軍事強国から弱国となる。
● 日本が弱くなったため、尼港事件
ニコラエフスクで日本の公使が殺された。
日本が弱いと思われた瞬間に悲惨な事件が起こる。
共産パルチザン、によって日本人が無差別に虐殺される。
中国人同士で殺し合いをすると、必ず復讐される。
中国人がロシア人やイギリス人を殺したとなると、とんでもないことになる…
犯人だけが殺されるのではなく、その町全部が復讐の対象となる。
ところが、日本の場合は、
日本人が殺されても、日本国は何の反撃もしない実例を作った。
ただでさえ、艦隊勢力は弱い時に…
次から次へと日本人が殺される
という事件が起きた。
● 昭和12年 通州事件
日本人の居留民約220人以上が惨殺された。
しかも人類史上稀に見る残酷な方法で…
日本はなめられた!
日本人は働き者
追い詰められても景気が悪くなっても、
そこから一生懸命働いて立ち直ろうとする。
そして財産を作る。
● 世界の標準
稼いだ他人の財産を奪い、自分が贅沢をする。
中国に対して賠償請求しなかった。
日本の軍隊は報復しなかった。
日本はそれまでに中国からあった要求を全て受け入れた。
要求を受け入れるので争う事はやめましょう、と言った。
その条約の調印式当日…
● 1937年 昭和12年、8月9日 大山中尉惨殺事件
上海市内を車で走行中、機関銃の掃射を受け、
運転手は即死、
大山中尉は半死半生のところを、
車から引きずり出され生首を切られた。
当時上海には30,000人の日本人居留民がいた。
日本人が中国各地で殺されるので、
一旦日本に帰れということで上海に集まっていた。
居留民を守るため、
警備のため兵力は2000人の海軍陸戦隊しかいなかった。
そこに、
中国国民党軍が50,000人で襲撃。
通州事件の再現…?
日本4,000 vs 50,000 中国
だが、
日本軍が中国軍を退ける!
それでも
日本は中国と戦いたくない。
仲良くしたい…
仲良くすることで中国の人々も豊かになる、
戦争は悲惨だから避けなければならない…
と、
日本は努力を重ねてきたが…
中国共産党のバックに英米がいた。
軍事援助を与えていた。
日本と戦うように仕向けていた!
お金と軍事物資と食料を与えていた。
中国としては戦わなければならない…
日本は戦いに巻き込まれていく。
とは言え、
英米と戦争したくない…
しかし、これ以上、
中国の混乱を見過ごすわけにはいかない。
=> 支那事変
中国のバックに英米がいたため長引いた。
何とかしなければ…と思っていた時に
● 第二次世界大戦
1937年 昭和12年 通州事件
1939年 昭和14年9月 第二次世界大戦 ドイツ軍がポーランドに侵攻
> 日本は2年以上戦争を拒み続けた…
なんとか和平の道はないものか…
1941年 昭和16年12月8日 太平洋戦争 (戦後の用語)、
大東亜戦争(元々の日本の呼名)
日独伊三国同盟を結んでいた。
この三国同盟は「けしからん」という理由で、
アメリカが日本への石油輸出を制限する。
当時の資源エネルギーの中心は石油だった。
軍艦も石油動いていた。
インドネシア…当時オランダが占領
オランダに石油の購入を依頼、
オランダは拒否←アメリカの圧力
= ABCD包囲網
America, Britain, China, Dutch (1930年)
4カ国で日本を潰そう!
植民地支配を続け、
収奪を行い、従来通りの贅沢な暮らしを維持するため。
日本が提唱する
「人種の平等」
を完全に封じ込めなければならない。
中国は英米の傀儡政権、
100%言うことを聞く国、
潰そうと思えばいつでも潰せる。
中国(中華民国)のほとんどの地区を
イギリスとフランス、北方はロシアが抑えていた。
一方、
日本はこれまでの実績もあるし、
戦う時は徹底して戦ってくる。
日本は何が何でも封じ込めよう!
日本としては…
石油が入って来なかったら、
海軍のみならず産業が立ち行かない、
壊滅してしまう。
フィリピンはアメリカの領土だった。
一瞬にしてアメリカ軍を壊滅。
その時の、フィリピンのアメリカの将軍は
ダグラス・マッカーサー Douglas MacArthur
彼は兵を残して、
自分1人でボートでオーストラリアに脱出。
降り立ったとき「I shall return」と言った。
日本は米軍を打ち破って、米兵を捕虜とした。
捕虜を収容所へ移動するために、
捕虜たちに歩いてもらった = パターン死の行進…
この事を、
日本人が乱暴狼藉を働いた…
Stay on the job until every Murdering JAP is wiped out!と、
アメリカ人がバタバタと死んでいったと宣伝された。
ところが、実際には
米兵 100 – 1 日本兵
10km進むのに1日かける…
みんなで海水浴していた…、
ポーカーに興じてたり、
のんびりとゆったりと行軍していた。
この1連の戦いの結果、
オランダが持っていたインドネシアの油田は
日本が制圧
シンガポールもマレーシアも…
日本軍がことごとく制圧
日本は、東南アジア諸国から植民地支配している国を
一気に駆逐、追い出す。
その上、
白人を追い出した後、
現地の人たちに独立国家を営んでもらうには
何が必要なのか?
それぞれの国を植民地支配している
宗主国と戦うだけではダメ。
戦った後に自分たちの国を作りたいのであれば、
自分たちの国家を作れるだけの行政機構が必要。
そして、
その行政機構を維持できる学力も必要。
日本軍は現地の人に教育を与え、
学校まで作る。
徹底的に新しい国づくり、行政、法制…
この時、日本から直接薫陶を受けた人たちが
戦後の東南アジアのリーダーとなって育っていく。
この時は、日本が勝利した。
勝利することで世界中の有色人種諸国に
「有色人種が勝った」
「日本という国が勝った」
「自分たちも独立できるんだ」
夢と希望を与えた。
日露戦争 での勝利
のみならず、東南アジアの国々にとっては、
自分たちの身近な
「独立」を現実のものにしていく。
さらに、
日本は現地の人たちに教育を与え、
独立国家を営むための術を与えた。
そして…
● 1943年 昭和18年 11月6日 大東亜共同宣言
これはまさに、人類社会における「正義」
1. 東亜諸国は、協同して東亜の安定を確保し、道義に基づく共存共栄の秩序を建設します。
2. 東亜諸国は、相互に自主独立を尊重し、互いに助け合い、東亜諸国の親睦を確立します。
3. 東亜諸国は、その伝統を尊重し、他民族の創造性を伸ばし、東亜諸国それぞれの文化を高め合います。
4. 東和諸国は、互いに緊密に連携することで、それぞれの国家の経済の発展を遂げるとともに、東亜諸国の繁栄を推進します。
5. 東亜諸国は、世界各国との交流を深め、人種差別を撤廃し、互いによく文化を交流し、進んで資源を解放して世界の発展に貢献していきます。
宣言…
「人間としてお互いに対等にやっていこう」
「理想ではなく現実にしていこう」
ところが、
白人国、植民地支配していた列強国 にとっては、
「これを日本にやられたら困る」
「正義の敵=悪」になってしまう…
そこで、
イギリスとアメリカが蒋介石を呼び、英米中で
1943年 昭和18年 12月1日 世界宣言 = カイロ宣言
世界の秩序に逆らう
「ろくでもない国」(日本) を共同してやっつけよう!
● カイロ宣言 => ポツダム宣言につながっていく。
米国が起草した宣言案を英国が修正し、日本の降伏と、満州・台湾・澎湖諸島の中華民国への返還、朝鮮の自由と独立などに言及した宣言が出された。 カイロ宣言の対日方針は、その後連合国の基本方針となり、ポツダム宣言に継承された。